日本野球発祥の地は、学士会館のところにありました。巨大な手が野球ボールを握っていました。
27km地点
銀座四丁目の交差点では、つい上を向いて時計台の写真を撮ってしまいます。でも、今日は、視線を下に向けてみました。
この情景から秋を感じ取っていいんです・よ・ね?
銀座一丁目交番の上部は、特徴的な形をしています。警視庁のホームページによれば、ガス灯の頭の部分をモデルに建築されたそうです。こんな形してましたっけ?
日本橋三丁目の交差点のキリン像は、以前から気になる存在でした。近くに寄って説明書きを探しましたが、見当たりません。中央区観光協会のブログによれば、昔、ここにツムラ順天堂の本社があり、漢方で王様の象徴であるキリンの像を建てたとのこと。
マラソンランナーは、このキリンを見てどう思いますかね?
日本橋の交差点から日本橋にかけて、やや上り坂のようです。
日本橋の脇に観光案内所(Nihonbashi Information)がありました。最近の建物ですよね?数年前には無かったと思います。
中に入ると、着物を着たスタッフがいらっしゃって、お土産を売ったり、パンフレットを配布したりしていました。
僕は日本橋周辺の地図と貨幣博物館のパスポートをもらいました。
日本橋から須田町の交差点までは、中山道です。神田駅ってガラス張りでしたっけ?新幹線の駅みたい。騒音対策なのでしょうか。
須田町の交差点は、往路は大回りをしなければならないようでしたが、復路はほぼ直角に左折して靖国通りに入れます。いままで歩いてきた中山道はそのまま真っ直ぐ進み、神田川の方に向かうので、ここでお別れです。
駿河台の尾根を迂回するため、右にカーブします。
駿河台下の交差点からは三省堂書店が見えます。古書街が始まります。
電子書籍の時代になっても、まだまだ紙の本は人気がありますね。
今日は祝日なので、閉まっている店もあります。
古書街を眺めながら歩くと、あっという間に神保町の交差点。左折して白山通りに入ります。
人が急に少なくなりました。車道も比較的すいています。
突然、ボールを握る巨大な手が出現!
碑文によれば、ここは日本野球発祥の地だそうです。1872年に第一大学区第一番中学のアメリカ人教師ホーレス・ウィルソン氏が、生徒たちに野球を教えたのが始まりで、その後全国に広まったとのこと。同中学は、その後、開成学校を経て東京大学になりました。現在この地は学士会館になっています。
そういえば、昔、似たような碑を見たことがあったなぁと思い、探してみたら、昔のフォルダに「読売巨人軍発祥の地」の写真を見つけました。この碑は、千葉県の谷津バラ園の隣にあります。
谷津バラ園のところには、昔、谷津遊園という遊園地がありました。楽しかったなぁ、谷津遊園。でも、閉園してしまい、とても残念でした。実は東京ディズニーランドに発展的解消していたんですね。
閑話休題。学士会館の脇には神田川が流れており、そこにかかる橋は一ツ橋。この地には東京外国語学校があり、1885年に東京商業学校と合併して、一橋大学になったのでした。
東大と一ツ橋大の発祥の地が近くにあったとはいえ、さすがに東京工業大学は離れた場所で創立されたんだろうと思いながらWikipediaを調べてみたら、なんと、東工大の前身は、開成学校の中に設置された製作学教場に行き着くと書いてあります。つまりここら辺ということ。本当なの?
一ツ橋から100mほどで平川門の交差点に至ります。
風水的には、都の建築等には四神相応(しじんそうおう)の地が望ましいとされており、東には大河(青龍)が必要とされます。昔は、この辺りを平川という大河が流れていて、その役割を担っていたはずです。
マラソンコースは元の平川の流れを辿るように、平川門の交差点を左折して内堀通りに入り、皇居に沿って進みます。
ほぼ正面の建物が気象庁、その右が東京消防庁です。
気象庁の1階にある気象科学館は予約なしで見学することができます。5年くらい前に見学したときに、雨の粒の形を観測する装置が面白かった覚えがあります。下から風を当てて、空中に雨粒を浮かせていました。簡単に作れないものかな。
このあたりの歩道の幅は狭いので、マラソン当日は、かなり混んで、身動きが取れなくなりそうです。
32km地点
今日の散歩は、大手門迄としました。
ここには「市内最初の並木」の看板があり、明治8年にニセアカシアを植えたそうです。しかし、今はエンジュになっているとのこと。ニセアカシアは、根の張り方が浅く、倒れ易いので、最初の並木も倒れてしまったのかもしれません。
ここから下って地下鉄の駅に向かいましたが、遠いのなんのって。
東京駅から帰れば良かったです。
散歩データ
コース:JR京浜東北線 有楽町駅 → 27km地点 → 32km地点 → 東京メトロ丸ノ内線 大手町駅
距離:8.2km
時間:1h38m