身延線を歩く | 市川三郷町で天井川を発見! | 東花輪~波高島

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東花輪

JR身延線東花輪(ひがしはなわ)駅から静岡方面に向かってお散歩開始。

菊の花の塊

菊の花かな?

東花輪という名前のように、歩き始めてすぐに立派な花の塊に遭遇。菊?でしょうか?

稲穂の実り方も見事です。そろそろ収穫の時期でしょうか。今年も美味しい新米が食べられそう。

逆光で撮影したススキの穂

逆光で撮影したススキの穂

ススキを見ると、つい逆光で撮影してしまいます。素人でもそこそこ綺麗な写真に見えます。

甲斐上野

桃林橋からの眺め

桃林橋からの眺め

桃林橋(とうりんばし)で笛吹川を渡ります。この辺りは甲府盆地の南端。水田が多く、桃の木はあまり見かけないような気がします。水田橋の方が付近の情景に合致はしているように思います。

前方には、山が迫ってきています。この山の手前をずっと右の方に行って、富士川付近に出たら富士川に付かず離れずしながら歩きます。

笛吹川の浅い川底にはっきり見えるリップル

笛吹川底のリップル

笛吹川は底が浅く、水が澄んでいるので、砂地の底にリップルが良く見えます。これが固結して岩石になると漣痕(れんこん=リップルマーク)として、流れの方向が推定できるそうです。

芦川・市川本町

身延線の踏切

身延線の踏切

芦川駅と市川本町駅の間の踏切を渡ります。

この辺りには多くの花火屋さんがあります。武田氏の軍事用の狼煙(のろし)が起源だとか。山梨では、治水にしても金山にしても、なんであれ、武田信玄公が大活躍したことになっています。万能の天才?発明王?

市川大門

天井川である印川をくぐる高田隧道

天井川である印川をくぐる高田隧道

市川三郷町の長生寺付近で、トンネルをくぐります。

地図を見たら、トンネルの上は川が流れていました。いわゆる天井川です!東海道を歩いていたとき、石部(いしべ)宿付近で、2回ほど天井川の下のトンネルをくぐる場所があり、「不思議な所だ」と思っていましたが、東京近郊にも天井川があるんですね。

鰍沢口・落居

花壇状の工事

花壇状の工事

鰍沢口(かじかざわぐち)駅を過ぎました。富士川とはしばらく離れます。身延線がトンネルに入る少し手前のところで、傾斜地に花壇状の工事を発見。こんな形状は初めて見ました。単純に土止めの工事なのでしょうか?

甲斐岩間

富士川の護岸決壊防止や水制のための菱牛

富士川名物の菱牛

甲斐岩間駅付近で、富士川に再び近づきましたので、河原を歩いてみました。
峡南橋付近に富士川名物を発見しました。菱牛(ひしうし)です。

富士川は最上川、球磨川と並んで日本三大急流です。信玄公はこの急流に対し、護岸決壊防止や水制のために、聖牛(ひじりうし、せいぎゅう)や菱牛を用いたそうです。戦国時代から現代まで伝わるのですから抜群の効果があるのだと思います。写真では、水に浸からない場所にありますが、増水時にはその威力を発揮するのでしょう。

久那土

また富士川と離れます。久那土を過ぎて、県道405号を離れると山の中。進行方向の一ノ瀬方面には、工事のために通り抜けできないという看板があるし、民家は全然無いし、熊はまだ冬眠していないかもしれないしで、ちょっと不安。戻ってくることだけはごめんこうむりたいなぁ。

道路工事は確かに実施していました。作業者は「こんなところを徒歩で来るなんて大丈夫?」というような表情をしていました。ただ、通行に関しては、歩行者なら大丈夫ですと通してくれました。

市ノ瀬

市ノ瀬駅

市ノ瀬駅

市ノ瀬駅が見えたときにはホッとしました。

市ノ瀬駅を過ぎると民家がちらほら出現し始めました。しかし、山道と同様に、人は歩いていません。そこに突然立派な建物が出現。

下部町一之瀬屋内ゲートボール場

下部町一之瀬屋内ゲートボール場

なんだろう?う~ん、屋内ゲートボール場!お初にお目にかかりました。町民の方々の重要なコミュニケーションの場所なんでしょう。

甲斐常葉

常葉川沿いに続く道

常葉川沿いに続く道(川は見えていない)

ほどなく、常葉(ときわ)川沿いに出ます。道は川沿いに続いています。とても綺麗な川なのに、なぜか写真に撮り忘れてしまいました。

下部温泉

下部温泉への分岐

下部温泉への分岐

下部温泉の表示が見えました。

下部温泉は15年くらい前に来たことがあり、当時はぬるいお湯でした。この温泉もやはり信玄公が絡んでいて、(刀)傷に効くと言われていました。最近は高温の源泉が湧出しているそうですね。また行きたいなぁ。

そうそう、甲斐黄金村・湯之奥金山博物館の砂金採り体験も楽しいので、オススメです。

まだ、14:00を少し過ぎたくらいでしたし、元気だったので、次の駅まで行くことにしました。

波高島

波高島の駅名標

次の駅は波高島。平仮名にするとインパクトのある駅名です。

地名由来の看板によれば、河川の氾濫で水田耕作が困難だったため、畑作主体の「畑ヶ島」が「波高島」に転化したとのことです。

時刻表を見ると、電車の待ち時間が二時間もありました。
しかし、既に29km歩いていましたし、隣の駅まで5km弱あるので、我慢して待つことにしました。

すると、駅に地元のご夫婦が車で現れました。聞けば、野良仕事が終わって、駅の自動販売機でジュースを買って一休みするために来たそうです。
今は、無人駅の波高島も、昔は駅員がいて、列車の本数ももっと多かったとか、建設中の中部横断自動車道に家がかかって別の土地に移ったとか等々。

そこで、やはり質問してしまいました。「付近の方々は、何をして生計を立てているのですか?」と。すると、「皆さんそういう質問してくるんですよね。土木建築業とかをやっている人が多いんじゃないかしら」とお答え下さいました。

普段はあまり人と話さずに散歩していますが、会話もいいものです。

散歩データ

コース:JR身延線 東花輪 → JR身延線 波高島
距離:29.4km
所要時間:7h38m

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