渋谷の109のような建物を見つけた!と思い、よくよく見直してみたら、数字は119で市川市消防局西消防署でした。
新宿(にいじゅく、水戸街道)
今日は水戸街道との追分から先の成田街道を歩きます。
青砥駅で電車を降りました。
石なし県(=千葉県)の近くなのに、砥石でも掘り出していたのか!と思って調べてみたら、どうやら人名にちなんだ駅名みたいですね。ちょっとがっかり。
先ずは中川に出ます。京成の中川橋梁がおしゃれな斜張橋であるように見えますが、実際はその向こうの高砂橋です。
川上に向かって歩くと、慈恵医大葛飾医療センターの角に、石の椅子と木の椅子がコラボレーションしていました。当初からコラボを考えていたのか、石の椅子同士の間隔が広すぎて木の椅子で間を埋めたのかは分かりませんが、粋なデザインです。横から見るとハート形をしているのは、病院だからでしょうか?
両岸から水道のパイプが突き出しています。水道橋を建設しているのかなぁと思って近づいてみると、パイプは綺麗なのに、それを支えるコンクリートはかなり古いです。既に役目を終えていて、船の通航のために、中央部を切り取ったようです。
その証拠に、東京都水道局中川新宿水管橋、昭和38年3月竣工、三菱日本重工業株式会社、横浜造船所制作という古いプレートが付いていました。
三菱重工の社名に「日本」という文字が入っていた時期があったんですね。
水道橋を完全に撤去しない理由は、地震か何かで水不足になった時に、再利用することを考えているのでしょう。
この設備の用途が分かりません。なぜ三脚を立てているのか。なぜ水中に建設しているのに水との接点には足場しかないのか。なぜ吹き流しが付けられているのか?本当に分かりません。降参です。
川の中に木杭が立っている風景もよく見かけます。
堤防が痩せるのを防いでいるのでしょうか。でも、場所によっては反対に浚渫(しゅんせつ)作業していたりしますよね?見る人が見れば、その場所に適切なな治水方法が分かるのでしょうか。
なんてことを考えていたら中川橋に着きました。この上を水戸街道が通っています。
橋を渡って左岸に出ると、小さな広場があります。ちょっと変わったものがいくつかありました。まず、中川橋の親柱です。
現在の中川橋は、1993年(平成5年)に架けられた3代目だそうです。とすると、これは、1933年(昭和8年)に架けられた2代目の親柱ということでしょう。
親柱の隣は国旗掲揚場と書いてあります。作られたのは昭和8年10月。つまり、中川橋と国旗掲揚場は同時期に作られたようです。
続いて、タブのホです。
タブのホ?
説明が特殊なフォントで書かれていて、「木」の字の第3画目、第4画目が第2画目から離れていたので、「ホ」と読めてしまいました。
ただ、タブの木だとしても、僕はその名前を聞いたことがありませんでした。
この木の虚(うろ)が、東橋詰で道しるべだったタブの木だったそうです。
また、左にある木は、そのタブから穂を取って育てた苗木とのことです。
水戸街道と成田街道の追分に来ました。
写真を何枚か撮りましたが、どうしても思うように撮れません。
トラックがいる左の道から向こう側に左折しながら伸びていくのが水戸街道、横断歩道を越えて右手前方向に始まるのが成田街道です。
追分付近の成田街道は、こんなに広いです。
車はほとんど通りません。歩いていて、なんとも不思議な気分がする道です。
追分から1.5kmほどで道が急に狭くなり、新金貨物線の線路を渡ります。
いつでも複線にして旅客路線化できそうな気配ですが、単線の貨物線として運用されています。
今度は京成金町線を渡ります。
京成の「成」は、成田の「成」ですから、成田街道とは関連が深く、記念すべきファーストコンタクトですね。京成線は標準軌なので、新金貨物線と比べて線路幅が広いです。
親水さくらかいどうを発見!「さくら」を平仮名で書くことで、佐倉街道(=成田街道)と桜街道をかけていますね。
親水さくらかいどうの水路は、明治時代に石井善兵衛氏が中心となって作ったとのことで、水源は江戸川だそうです。
江戸川の堤防が見えました。今日は本当に天気が良くて暑いです。
おや?この木は?
そうです、タブの木です。ということは、今までもタブの木をしょっちゅう見ていたのかもしれません。認識できていなかったということですね。ちなみに、ここの看板には全て片仮名で「タブノキ」と書いてありました。
普通のカフェの店先に、道標がありました。
左の道標の真ん中の一番下は「道」という字のようです。また、右の道標は、「左??三ち(みち)」でしょうか?こういう文字が読めるようになれば、散歩がより楽しくなるんだろうなぁ。
京成の線路をくぐったすぐのところに北野神社がありました。鳥居のすぐ後ろにもう一つの鳥居があるのは珍しいと思います。ただ、立て札には鳥居についての説明書きはありませんでした。
その代わりと言ってはなんですが、区指定無形民俗文化財の茅の輪くぐりのことが書いてありました。素戔鳴尊(すさのおのみこと)もご祭神として祀られており、しかも、今日は、6月30日で、まさに夏越大祓(なごしのおおはらえ)の日です!
でも、この神社では、6月25日が例祭日だそうで、茅の輪は影も形もありませんでした。
市川橋で江戸川を渡ります。
橋の上で東京都と千葉県の境を見つけようとしましたが、見つかりませんでした。
市川宿
千葉県に入ると、市川関所跡の案内矢印がありました。それに従って、左手に100mほど行ったところに、冠木門と市川関所跡の石碑を見つけました。看板によれば、ご多分に洩れず、入り鉄砲と出女を厳しく取り締まっていたとのことです。
ここからは国道14号線を歩くことになります。
先ずはじめの信号は、市川広小路。広小路だからといって、火事の延焼止めに設けられたわけではないようです。たまたま広い道だということかな。
あれ?渋谷と同じ109!かと思ってよくよく見てみたら119でした。市川市消防局西消防署でした。うーん、格好良いデザインだ。
未来予想図の様な写真が撮れました。できたばかりの歩道橋です。ちょっと得した気分で通りました。歩道橋が架かっている場所は東京外環自動車道の上。この路線は、今年の6月2日に開通したばかりの出来立てほやほやです。
八幡宿
葛飾八幡宮の鳥居を発見!夏越大祓ののぼりも立っているので、こんどこそ茅の輪くぐりがあるに違いありません。でも、ここから神社までちょっと距離がありそうなので、失礼してしまいました。
国道14号を挟んで鳥居の反対側に、竹や樹木で鬱蒼としたエリアがあります。
ここは不知八幡森(しらずやわたのもり)であって、八幡の藪知らずとも呼ばれています。入ってなならない所とされており、一度入ったら出て来られないそうです。
どうして入ってならないのかは誰も知りません。
今日のゴールである、下総中山駅に着きました。
重厚な時計台があるのは、近くに法華経寺があるからでしょうか。
とにかく、今日も暑くて喉が渇く一日でした。
散歩データ
コース:京成本線 青砥駅 → 成田街道 → JR総武線 下総中山駅
距離:14.8km
時間:3h50m
水分:炭酸水1リットル