甲州街道を歩く | 残雪の小橋を発見! | 与瀬~上野原

与瀬宿

相模湖駅で電車を降り、南に約100m歩くと甲州街道です。

SAGAMIKO

SAGAMIKO

その甲州街道から駅を振り返るとちょっとカッコいいSAGAMIKOの表示が見えたので、思わず写真を撮ってしまいました。

孫山

孫山

この山は孫山。植生が明確に分かれていてパッチワークみたいです。自然にそうなったのでしょうか?それとも人工的に植樹したのでしょうか?

慈眼寺の寺標

慈眼寺の寺標

慈眼寺の寺標を発見!

お寺の参道は中央自動車道を跨ぐ歩道橋になっています。

相模湖の北側は崖であり、すぐ近くには山が差し迫って来ています。甲州街道、中央自動車道、中央線は、湖と山の間の狭い麓部分をひしめき合いながら通っています。

中央自動車道は、参道があったこの地点をピンポイントで通す必要があったため、歩道橋に変更せざるを得なかったようです。

与瀬神社を参拝するための階段

与瀬神社を参拝するための階段

そのすぐ左脇にもうひとつ同じような歩道橋用の階段を発見。こちらは鳥居の向こうにあるので、与瀬神社を参拝するための階段です。

階段の段数が多かったため、登りはしませんでしたが、航空写真を見ると、2つの歩道橋は途中で合体し、かなり広いようです。おそらく、初詣の時などは、歩道橋の上がかなり混むのでしょう。

慈眼寺は、眼を酷使することが多い昨今、眼を慈しんでくれるご利益を期待する人が多いかもしれません。

中央自動車道と中央線と一般道

中央自動車道と中央線と一般道

右上は中央自動車道、下は手前から奥のトンネルに向かって中央線が通っています。

その間を一般道が左から中央自動車道の右に抜け、再び左に戻ってきています。

ここは、相模湖の水によって浸食された崖であって、ここを埋めたり、橋を使って一般道を通すより、遠回りさせた方がコスト的に安かったのでしょう。

ちなみに、僕の歩いている甲州街道も一旦中央自動車道の右に抜けますが、すぐに戻っては来ません。再び自動車道と交わるのは1kmほど先になります。

山道

山道

一般道を離れると、急に山道になります。

残雪の小橋

残雪の小橋

残雪の小橋を発見!

足跡がいくつかついています。甲州街道を旅する人の足跡でしょうか、それとも地元の人の足跡でしょうか。

結構滑りやすかったので、一歩一歩慎重に歩を進めました。

与瀬宿の一里塚の跡

与瀬宿の一里塚の跡

谷から登ってきたところに与瀬宿の一里塚の跡がありました。

わざわざ整地する手間をかける必要が無いほど何もないところなのに、塚が見当たらないのはなぜなのでしょうか。人工的な塚は、手入れをしないと平らに戻ってしまうのかな。

相模湖と勝瀬橋

相模湖と勝瀬橋

相模湖が良く見えます。右に見えているのは勝瀬橋。

切通しを通る中央自動車道

切通しを通る中央自動車道

中央自動車道が切通しの中を通っていきます。短い橋を架けることをためらって迂回路を作らざるを得ない一般道とは、金のかけ方が違います。

吉野宿を示す手書きの行き先表示坂

吉野宿を示す手書きの行き先表示坂

曲がっていいのか悪いのか分かりにくい分岐点に、手書きの行き先表示坂がありました。感謝しながら吉野宿方向に向かいます。

吉野宿

中央自動車道の相模湖IC分岐付近

中央自動車道の相模湖IC分岐付近

先ほど下をくぐった中央自動車道を、今度は歩道橋で越えます。

下り車線から相模湖ICへ分かれる分岐点付近です。

相模湖の西端からの眺め

相模湖の西端からの眺め

相模湖の西から、今歩いて来た北東の方面を眺めます。
右の山がパッチワークの孫山、そこから左に下がってきたところの谷に雪の橋があり、谷から登ったところに一里塚がありました。

吉野宿「ふじや」

吉野宿「ふじや」

昔、吉野宿で旅籠を営んでいた「ふじや」が郷土資料館になっていました。寄りたいのは山々です。でも、既に午後3時を越えており、日が暮れてしまうので、今回はあきらめることにしました。

吉野本陣跡

吉野本陣跡

「ふじや」の対面が吉野本陣跡です。「聖跡」と書かれた石碑が建っている理由は、明治天皇の行在所となったためなのでしょう。その木造5階建ての建物は、明治29年に火災で焼失してしまいました

沢井川

沢井川

この落ち着いた水面の川は、沢井川。青梅線の沢井駅の方向から流れてきているので、もしかしたら関係があるかと思い、地図を調べてみました。でも、分水嶺を3回くらい越える必要があるので、全く関係なさそうです。

関野宿

中央線と中央自動車道

中央線と中央自動車道

藤野駅から約400m西側の地点で線路を渡り、線路の北に出ます。

曲がった線路の向こうに藤野駅のホームが見えています。

左手は中央自動車道です。

ほどなく、関野本陣跡が現れましたが、立て札しか立っていませんでした。

上野原宿

境川橋

境川橋

道なりに、立派な境川橋が現れました。

何も考えずに渡っていこうとすると、向こう岸の看板に「神奈川県」「相模原市」の文字が見えます。

あれ?今、相模原市を歩いているんじゃなかったっけ?

上野原市の看板

上野原市の看板

橋の手前の看板を見上げてみると、「山梨県上野原市」と書いてあります。

あれ?いつの間に山梨に入っていたの?わけわかんない。

もう少し歩いたら、少し高いところに出て、いろいろな訳が分かりました。

神奈川と山梨の県境に架かる橋

神奈川と山梨の県境に架かる橋

境川橋に遭遇する前に、いつの間にか写真に示す橋(名称不明)を渡っていたんです。

下を流れる川は、境川。県境の川です。向こう側が相模原市で手前が上野原市です。だから、ここで山梨県に入った訳です。

先ほどの立派な境川橋は、境川が相模川に合流する地点のやや上流にあります。

境川橋の下を流れる川の下流は橋の名前と異なる相模川。でも、上流は桂川と呼ばれていて、この辺りで川の名前が変わるようです。

県境は、境川から相模川に入り、境川橋を通って桂川に至ります。あー複雑だ。

諏訪関所跡

諏訪関所跡

桂川と境川に浸食された坂を曲がりくねった道で登ると諏訪関所跡が現れます。

看板を読むと、宝永4年(1707)年から運用されていたことがなんとなく分かります。でも、それ以外は省略が多すぎて何を伝えたいのか分かりません。そもそも石柱には「諏訪関跡」とあるのに、看板は「諏訪番所跡」となっていて、その違いからして分かりません。また、「高二斗三升三合」なんて数値がいきなり現れます。屋敷にあった田んぼからの取れ高なのか、納めるべき年貢なのか、支給されていた石高なのか、何も分かりません。さらに、「通行手形改め※但し小仏関所(駒木野)」なんていう記載もあります。ここで手形を改めていないんだったら、関所じゃないじゃんと思いますし、小仏関所のことをわざわざここで説明しなくてもよいのではないかと思います。

塚場一里塚

塚場一里塚

再々度、中央本線と中央自動車道を越えると、疱瘡神社があり、その裏手の丘が塚場(つかば)一里塚らしいです。多分この写真の丘になります。

古老に依れば、昔はカヤが植えられていたとのことです。でも、今はツゲ?とシュロ?ですか?

シュロって外来種じゃないの?いくらなんでも日本の伝統を受け継ぐ一里塚に植えるのは止めて欲しいな。

今日の散歩は新町二丁目の交差点までとし、そこから約1.2km歩いて上野原駅まで歩いて来ました。

上野原駅

上野原駅

駅の中に入ってびっくり。

ホームの中央に駅舎があり、自動改札が左右に設置され、それぞれを通るとホームです。

斬新な構造だなぁ。

散歩データ

コース:JR中央線 相模湖 → 与瀬宿 → 吉野宿 → 関野宿 → 上野原宿 → JR中央線 上野原
距離:13.2km
時間:3h4m

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