久しぶりに甲州街道を歩きました。勝沼から石和です。実は、7年前にこのコースを逆方向から歩いているんですが、写真が一枚も残っていなかったので、改めて歩き直しました。
旧田中銀行を見学したかったのですが、残念ながら年始の休みのようでした
勝沼宿
初めて勝沼ぶどう郷駅(以下勝沼駅)に降り立ちました。今まで、この駅から乗ったことはありますが、降りたことはありませんでした。
高台で、良い天気の下、駅のホームから甲府盆地が一望できます。でも、盆地にはうっすらと霞がかかっています。写真中央の櫛形山の向こうには南アルプスが見えるはずなのに、残念ながら、雲がかかっていて見えません。
あれ?勝沼駅って無人駅でしたっけ?
どうやら無人駅ではないようですが、まだ、シャッターが開いていないようです。
勝沼駅の南側の線路沿いには、見所が結構あります。
先ずは、EF64形電気機関車。
中央本線のような中勾配に対応するように開発された電気機関車で、地球約70周分走ったそうです。連結器や砂撒き装置を間近で見ることができて、鉄ちゃんでなくても時間を忘れて見入ってしまいます。
更に階段を上がると大日影トンネル遊歩道があります。ただし、現在は一次的に閉鎖されている模様で、入ることはできませんでした。
勝沼駅周辺の見物はこれくらいにして、甲州街道を目指します。
周囲は「ぶどう郷」というだけあって、葡萄畑が広がっています。遠くに見えるのは勝沼ぶどうの丘。とにかく、葡萄です。
あっ。ハッピードリンクショップもありました。清涼飲料水の自動販売機数台からなる山梨県特有のショップで、ほとんどの商品が100円です。買うなら安くてハッピーです。でも水を持っていたので買いませんでした。
ようやく甲州街道に出ました。駅から甲州街道までは、約1.8kmもあり長いんです。
ただ、勝沼駅との標高差が約50mあり、ずっと下りで楽でした。
甲州街道を歩き始めてすぐ、きのこのような形をした木肌の美しい松を発見!本陣槍掛けの松で、大名や公家が泊った時に槍を掛けて、目印としたそうです。
こちらの趣のある立派な建物は、仲松屋住宅で、江戸時代後期の商家建築です。
車もフェンダーミラーのついた年代物。でも綺麗です。
住んでいらっしゃる方が、大切に丁寧に扱っていらっしゃるので、家も車も長持ちするのでしょう。
旧田中銀行博物館を発見!
今日は土曜なので、一応、開館日ではありますが、年始のためか、閉まっていました。
もともとは、明治30年ころに、郵便電信局舎として建てられたそうです。戦争中もこんなに明るい色のままだったのでしょうか。
裏に回ると、大正末から昭和の初期ころに建てられた煉瓦造りの土蔵がありました。
扉に株式會社 山梨田中銀行と書かれており、金庫として使われていたのかもしれません。
勝沼小学校の前にある、ようあん坂には石柱がありました。東西南北を向いて建っていて、海抜四〇〇米、山梨縣廳ヨリ一六・〇二七粁、東經一三八度四四分、北緯三五度四〇分と書いてありました。もう一面の北面には、なんて書いてあったんだろう。
栗原宿
山梨市に入り、立派な家の敷地内に大戸屋の看板が出ています。おっ、ここは立派な作りの大戸屋だなぁと思ったら創業者、三森久実氏生誕の地でした。大戸屋は、創始者が山梨の人なのに、ほうとうは出さないんですかね。
さらに1kmほど行ったところで、学校の校舎を発見!
日川高校です。花園ラグビー常連校ですね。
一町田中(いっちょうたなか)の交差点に来ました。前回、逆方向から歩いた時は、ぼーっとしていて、この道の直進方向から来てしまいました。でも、ここで左折するのが本来の甲州街道らしいです。今日は本来の甲州街道を通ります。
日川(ひかわ)沿いに出て、東の方向を見ると、大菩薩嶺が見えました。ほぼ写真中央にある厚くて白い雲の真下です。その左側には柳沢峠、右側には大菩薩峠があるはずです。これらの峠は山梨に来る数少ないルートです。
日川橋で日川を渡ります。
石和宿
日川橋の上から日川の下流方面を望みます。ここから1kmほどで、笛吹川と合流します。
河原におりてみたところ、石はほとんど砂岩のようで、火成岩は少しでした。
落葉した枝に、柿が鈴生りでした。例え渋柿でも、ここまで熟せば干し柿のように甘くなるのでしょうか。
甲州街道がちょっと日川から離れたすきに、笛吹川に合流していました。
堤防を守るための菱牛(ひしうし)が立ち並び、その周りで付近の方々が、枯れ枝を取り除いたり、チェーンソーで木を切ったりして、手入れをしていました。おつかれさまです。
以前歩いた時は、この笛吹川沿いの600mほどの国道411号線に歩道が無く、車がかなりの速度で脇を通って行くので、甲州街道最大の難所でした。今日は、広い歩道があり、隔世の感があります。
石碑が建っていました。字が薄いので、近くに行って確かめたところ、一宮神社の表参道と書いてありました。
山梨県の一宮は、笛吹市一宮町にある浅間神社(あさまじんじゃ)です。富士山を神格化した木花開耶姫命をお祀りしています。
なんだかよく分からない設備から、水が垂れていました。
そろそろ石和も近いので、温泉でしょうか?
笛吹橋で笛吹川を渡ります。
よく見えませんが、2km弱離れたところに鵜飼橋があり、夏にはその付近で観光鵜飼をします。ただし、長良川のように鵜舟を使うのではなく、歩きながら鵜を使う、徒鵜(かちう)のようです。確かに、あまり深くはなさそうです。
笛吹川の堤防沿いに松並木が現れました。大木なので、きっと江戸時代から残っているのでしょう。
笛吹権三郎之像を発見!
権三郎は鎌倉幕府に反乱した父親の藤原道義を捜しに、この地にやってきました。ところが、子酉(ねとり)川が氾濫して、母親が流されてしまったので、笛を吹きながら探すことになりました。しかし、自分も深みにはまって命を落とし、村人が弔ったところ、川から笛の音が聞こえるようになりました。こうして、子酉川を笛吹川と呼ぶようになったとのことです。
権三郎と聞くと、高齢者の名前に聞こえますが、実際は若者だったんですね。
石和宿に入りました。本陣跡を発見!土蔵は当時のものとのことです。
そこから程なく、小林公園の入り口で、あし湯を発見!さすが、温泉地です。
でも、温泉が発見されたのは、割と最近の昭和36年で、江戸時代にあし湯はありませんでした。
あし湯付近で、腕用ポンプと呼ばれる手漕ぎ式の消防ポンプを発見!木製鉄輪式の車輪ですよ。いゃぁ、年代物ですね。まだ動くのでしょうか。
石和八幡宮は、あまり大きくはないものの、武田氏の信仰が厚かった神社です。
今日の甲州街道の散歩は石和温泉駅入口までです。これで、約6年前の散歩に繋がります。
交差点にある、そば処 幟(のぼり)は、楢山節考(ならやまぶしこう)の著者である、深沢七郎の実家です。
駅の途中の石和橋で、再び笛吹権三郎さんに出会いました。なぜここにも?
実は、明治40年の大水害まで、笛吹川の本流はここを通っていたんです。なので、像の設置場所としてふさわしいんです。
え?石和温泉駅?以前と比べると、随分綺麗になっちゃいました。
信玄公は、西暦で、1521年12月1日生まれなので、もう少しで生誕500年なんですね。大々的にイベントが開催されるのでしょうか。
駅前にも「あしゆ」がありました。
散歩データ
コース:JR中央線 勝沼ぶどう郷 → 甲州街道 → JR中央線 石和温泉
距離:14.4km
時間:3h48m