箱根駅伝でよく耳にする権太坂。ある場所を右折して狭い道に入ったら、そこが権太坂の入り口で、虚を突かれた感じでした。そこから約1,300mかけて約67mを上ります。坂の上からは富士山が見えました。
神奈川宿
昨日の到達地点である新子安駅入口の交差点から歩き始めます。
疲労が思ったほど残っていないことに自分でもびっくり。僕もまだまだ若いじゃん。
神奈川駅の近くは浦島太郎の伝説の地とのことで、青海波(せいがいは)とカメが街灯のデザインとなっています。
油断していると通り過ぎてしまいそうな宮前商店街の通りが東海道。ここから上り坂になります。
坂の途中に坂本龍馬の妻、おりょうが務めていた料亭(田中屋)がありました。田中屋の前身は旅籠「さくらや」であり、広重の浮世絵にも描かれています。
ところで、広重の浮世絵には海が書いてあります。でも、現在は海が見えません。最近、地球温暖化なんて騒がれていますが、江戸時代の方が余程暖かくて、大規模な海進があったのでしょう。
午前のおやつの時間が近くなって、お腹がすいてきました。壁画に惹きつけられるままに「CAMASTRA」というパン屋さんに入り、パンを3個買いました。東海道とパンは似合わないなぁと思いながらも、歩きながら美味しくいただきました。
歩いていると、たまに「旧東海道」の表示を見かけます。道を間違えていないことが分かり、安心できるので、ありがたいです。でも、このマークは何を図案化しているの?
松原商店街の少し手前に八王子道との追分(分岐点)があります。国道16号線は、この八王子道に沿ってに作られた国道のようです。
松原商店街の入口です。松原商店街は平日の火曜日であったにもかかわらず、熱気がすごかったです。写真を撮るのを忘れてしまうほどでした。
保土ヶ谷宿
天王町駅を越えると帷子橋(かたびらばし)跡があります。ここは、広重の「保土ヶ谷」に描かれているとのことですが、周囲の風景は随分変わってしまいましたね。
歩道の車止めに、「ちょんまげ君」を発見。背中に「ハマ」の二文字からなる横浜市のマークを背負っています。このマークは、明治42年にできたそうなので、当時、本当にこのデザインの着物を着ていた人がいたかもしれません。
保土ヶ谷駅の先で線路を横断した直後、ほぼ直角に右折すると、8里目の一里塚がありました。近くの小学生が社会の勉強に来ていました。歴史上の実物に触れながら授業受けられるなんて、羨ましい。ここに住んでいたら、日本史がもっと好きになれたかもしれません。
権太坂の入口は、「え?こんなところ」というようなところにあります。そこから坂がだらだらと続きます。
権太坂を上っている最中に横浜が良く見えました。
登りきったところで富士山を発見!北斎の「保土ヶ谷」はこのあたりから見た富士山らしいです。
そこから600mほどで、信濃一里塚(9里目)に到達。道の両側に一里塚が残っています。塚がやたらと大きく、木もたくさん生えており、この迫力は、一度見ておいて損はないと思います。東戸塚駅の近くです。ただし、あまりに大きいので、塚の構造はよくわかりませんでした。
戸塚宿
信濃一里塚から1時間18分後に吉田一里塚(10里目)に到着!
昔の人は、一日に約10里を歩きました。だから、日本橋からここまでが、だいたい一日分の距離です。でも、僕の場合、昨日と今日で、1日半以上かかっています。また、一里歩くのに一時間以上かかっていますので、時速4キロより遅いペースです。もう少し早く歩いてもよさそうです。
戸塚駅の少し手前にある吉田大橋に来ました。ここは、広重の浮世絵になったところらしいです。残念ながら、絵の中に描かれている「古(こ)めや」の看板はありませんでした。
国道1号線から道場坂へ分かれる分岐点を歩道橋の上から確認します。奥へ向かう車が連なっている道が道場坂に向かう道です。
藤沢宿
道場坂の途中には、遊行寺がありましたが、疲れていて見学する気にもならなかったので、そのまま下ってきてしまいました。
境川まで来たらすぐに渡らずに右折して川沿いを少し進み、その後左折して遊行寺橋を渡ります。ここも一種の鉤の手なのでしょうか?ちなみに、この遊行寺橋も広重の浮世絵に描かれています。
そろそろ暗くなるので、2日目はここで終わりとしました。遊行寺橋から藤沢駅まで約800mの距離があり、とても遠く感じました。足にマメはできていませんが、両モモはパンパンでした。
散歩データ
コース:JR京浜東北線 新子安駅 → 神奈川宿 → 保土ヶ谷宿 → 戸塚宿 → 藤沢宿 → JR東海道線 藤沢駅
距離:24.6km
時間:6h47m
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