甲州街道は、初狩駅の東側で、中央線と約600mを並走します。ここは、砂利道で、ちょっとした並木もあり、歩いていて癒されます。歩いた後、中央線に乗って、あぁあそこを歩いたなぁと感慨にひたることもできました。
大月宿
大月駅の表示は金属でできていました。槌で叩いて作ったような手作り感があります。大月に縁のある芸術家の作品でしょうか?「月」の文字にとまったツバメがかわいいです。
甲州街道は、大月駅を出てすぐのところを通っています。
下花咲宿・上花咲宿
大月のICと大月JCTの中間あたりから北東方面を撮った写真です。
川の名前は笹子川。桂川の支流です。大月駅のすぐ西側で桂川に合流しています。
川を跨いでいる道路は、中央自動車道から一般道に出るための大月ICのランプです。
NECの大月事業所がありました。大きな建物なので、目立ちます。この建物を見ると、いつもホバークラフトを思い出します。このまま走って行けそうですよね。
笹子川に合流する寸前の真木川(恵能野川(えのうのがわ)かも)です。
両側が崖になっています。地形図を見るとずっと上流まで崖が続くので、この辺りは削られやすいタイプの地質なのだと思います。
下初狩宿・中初狩宿
笹子川と真木川の合流地点から約500m進んだところで、笹子川を北から南に渡ります。さらに、中央線も横切り、しばらく中央線に沿って進みます。
そんな中で「発破作業中」の表示が出現!ちょっと物騒です。でも、石材が取れるということですよね。地質について調べれば、先ほどの崖の話ともつながるのかもしれません。
中央線に沿って続く甲州街道はこんな感じです!他に誰も歩いていません。
たまに、電車の中の人から、「なんでそんなところ歩いているの?」といった目で見られます。ここが甲州街道だからですよ。
斜面を利用して、砕石工場が建設されています。
でも、この斜面は、大河とは言えないような笹子川が長い年月をかけて作ったんですよね。飽くことなく地形を変え続ける自然の力はすごいなと改めて思います。
砕石工場の中に入っていってしまいそうですが、旧甲州街道と案内の文字が書いてあるので、進んで行っても大丈夫なようです。
急に住宅街に出ました。初狩駅の500mくらい東側の第七甲州街道踏切で、再度中央線を横断します。もうだいぶ日が傾いています。
踏切を渡ったところで、大僧正聖護院道興の歌碑に遭遇。道興がどなたか存じ上げませんし、歌もよく分かりませんが、こういう昔の文字を読めるようになりたいです。説明板と辞書を用いたところ、次のように読めるようです。
今ハとてか春(す)みを分てか遍(へ)るさ尓(に)お本(ぼ)つか那(な)しや者(は)つかりの里
この歌が詠まれた文明19年(1487年)は室町時代であり、そのころからここは初狩という地名だったんですね。
ほどなく国道20号線に出ます。
すると、キロポストの表示が100k1となっていました。つまり100m東京方面に歩けば、100kmのキロポストがあるということです。
こんな切の良い、キロポストにはめったにお目にかかれませんから歩きましたよ100m。
そして見つけました。100kmのキロポストです。ネギ畑の横に立っていました。
白野宿・阿弥陀海道宿
初狩駅と笹子駅の中間よりやや笹子寄りのところで、中央線のガードを南から北にくぐります。区切ったところに「伝説 立石坂の立石」の表示が出現。
でも、探せども探せども、どこにもそれらしき石が見えません。結局、あきらめました。
(実は、ガードをくぐらずに、国道20号線を西に100mほど行った先の線路際にあるらしいです。)
黒野田宿
笹子駅前には、笹子隧道記念碑がありました。
笹子隧道は、明治29年に着工し、6年でできた4,656mのトンネルだそうです。
重機が今ほど発達していなかったでしょうから、相当な難工事だったと思います。
記念碑は甲府駅近くの舞鶴公園から移転してきたようです。そもそもなぜ甲府にあったのでしょうか?
笹子駅は、コンパクトにまとまった駅でした。
日が長くなった今日この頃ですが、もうそろそろ夕暮れです。
散歩データ
コース:JR中央線 大月駅 → 大月宿 → 下花咲宿 → 上花咲宿 → 下初狩宿 → 中初狩宿 →白野宿 → 阿弥陀海道宿 → 黒野田宿 → JR中央線 笹子駅
距離:12.9km
時間:2h48m