日永の追分は、東海道と伊勢参宮道との分岐点です。東海道中膝栗毛の弥次郎兵衛と喜多八はここから伊勢神宮へ向かいました。僕はもちろん東海道をそのまま進み、京都を目指します。
桑名宿
ホテルを出発して、1キロくらい歩いた時、エネループが4本入った充電器をホテルに忘れてきたことに気が付きました。何たる不覚!
電池が無いとハンディGPSやデジカメが動かなくなってしまいます。どちらも単三電池で動くので、コンビニで買うこともできますが、時間と費用の兼ね合いを考えると、取りに戻った方が得策です。
ホテルは南に向かっている東海道に対して西の方にあり、この「歴史を語る公園」を過ぎてから戻る方が、若干近いようです。
歴史を語る公園は、日本橋から京の三条大橋までの東海道を模した公園です。ここに来れば、お手軽に東海道の雰囲気に浸ることができます。日本橋や富士山のレプリカを見て、今までの道中を思い出すとともに、これからの道中に思いを馳せました。
公園を過ぎて、泣く泣くホテルに充電器を取りに戻ります。おかげさまで、充電器は無事に見つかりました。
近鉄名古屋線の益生(ますお)駅近くに矢田立場(やだたてば)跡があります。立場とは、宿場と宿場の間にある休憩どころです。ここに、木製の火の見櫓がありました。ただ、立場と火の見櫓との直接の関連はなさそうです。
関西本線の朝日駅近くには、「東海道はこちらでござる」という看板がありました。ここは、間違いやすい道なので、助かりました。心の中で「かたじけない」と言いつつ、左に向かいます。
9時過ぎに冨田の一里塚阯(98里)を発見!石柱の後ろに有刺鉄線が張られています。後方にスキを見せてはいけないような理由があるのでしょうか。
また、石柱の冨田には点がなく、立て札の富田には点があります。こちらにも理由があるのでしょうか。
四日市宿
近鉄富田駅近くにある力石は、お堂を再建する際の土台石の一つで、32貫目(≒120kg)あり、力比べに使われていたそうです。昔の人は現代人より小柄だったのに、力があったんですね。
三ツ谷一里塚跡は、99里目の一里塚です。あと1里で百里です。
笹井屋を発見!名物のなが餅を商っています。最小数量は6本入り。2本入りくらいのがあると手頃なのにと思いながらも食べてみたかったので、購入しました。
日永の一里塚阯を発見!江戸から100里!でも、石柱が1本立っているだけでした。折角の区切りの数字なのだから、もう少しアピールに力を入れればいいのに。
日永の追分を発見!ここで伊勢参宮道と別れます。第2の鳥居から遥拝。
東海道中膝栗毛の弥次さん北さんは、伊勢神宮に向かったので、ここから分かれていったことになります。
鳥居の近くには神水が湧いていました。すご~く飲んでみたかったんですが、お腹をこわしたくないので、飲みませんでした。
御昼時になりました。椅子があったので、先ほど買った「なが餅」を昼食代わりに食すことにしました。
なが餅は、築城の名人である藤堂高虎が参勤交代の時に必ず食べたといわれています。
軽く焼いた長めの餅に、あんこが入っています。甘ったるくなく、後を引く味です。2~3本を余裕で食べられるので、6本入りでも大丈夫でした。
石薬師宿
石薬師の蒲桜は、源範頼が平家討伐のため、西へ向かう途中、鞭にしていた桜の枝を地面に逆さに挿したのが芽を出したといわれています。そんなことってあり得るの?
蒲桜から東海道に戻ってくる途中、広重の浮世絵のスケッチポイントがあるらしいのですが、そこから写真を撮ることを忘れてしまいました。残念。
石薬師の一里塚(102里)阯は、関西本線の線路脇にありました。
庄野宿
今日の道中は、汲川原(くみがわら)町の交差点までとしました。
でも、この周辺にはホテルがありません。仕方なく、鈴鹿川を渡り、旭化成鈴鹿工場の脇を通り、2.5kmも先のスーパーホテル鈴鹿に宿泊しました。
昨日の宿泊先もスーパーホテル(桑名駅前)だったので、スーパーホテルに連泊です。
ただ、同じチェーン店のホテルであっても、桑名は4,000円で、鈴鹿は5,200円。立地条件が違うためですかねぇ。
散歩データ
コース:桑名宿 → 四日市宿 → 石薬師宿 → 庄野宿
距離:40.9km
時間:11h24m
出費:宿泊費 \5,200、食費等 \2,172