甲州街道を歩く | 二つの鉤の手を発見! | 石和~甲府柳宿

昔の街道が主要都市に近付くと、鉤の手になっていることがあります。

甲府に近づいた甲州街道は、2か所で鉤の手になっていました。

石和宿

石和温泉駅から歩き始めます。昨日降った雪が結構残っていました。

駅から南に約800m行くと石和温泉駅入口の交差点があり、そこが甲州街道です。

交差点は笛吹市ですが、すぐに甲府市になります。

甲府柳町宿

山梨県立青少年センターの標柱

山梨県立青少年センターの標柱

酒折宮

石和温泉駅入口から西に1km行ったところに、山梨県立青少年センターがあります。その前に建っている標柱によれば、武田氏は代々この川田町に住んでいて、武田信虎(信玄の父親)の代に、(武田神社がある)つつじヶ崎に住居を移したそうです。長年甲州街道沿いに住んでいたのは、交通の便が良かったからでしょうか。

日本武尊御舊跡の石標

日本武尊御舊跡の石標

山梨学院大学の付近に来たとき、日本武尊御舊跡(やまとたけるのみことごきゅうせき)と書いてある石碑を発見。この理由は、もう少し行ったところで分かります。

山梨学院大学

山梨学院大学

山梨学院大学では、箱根駅伝の必勝を祈願していました。

酒折宮碑

酒折宮碑

酒折駅前を過ぎると右に折れる道があり、中央線を渡った先に神社があります。酒折宮(さかおりのみや)です。

酒折宮にある連歌の碑

酒折宮にある連歌の碑

この酒折宮について、古事記等に、次の内容の記載があります。

日本武尊(=倭建命)が、東征の帰り、この地に宿泊した時、
「新治(にひばり) 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」
(新治(現茨城県土浦市)、筑波を過ぎてから何晩くらい寝ただろうか?)と問いかけの歌を詠みました。

それに対して、御火焼(みひたき)の老人(おきな)が
「かがなべて 夜(よ)には九夜(ここのよ) 日には十日を」
(日数を重ねて、九泊十日です)と詠んで答えました。

この故事のため、酒折宮は、連歌発祥の地とされています。また、これが日本武尊御舊跡の理由です。

鉤の手

酒折宮から約500mのところで、道が小さく鉤の手に曲がります。さらにそこから1km進んだところで、大きく鉤の手に曲がります。甲府に近づいた知らせです。

大きな鉤の手の近くにある身延線の駅名は、金手(かねんて)です。この駅名は「鉤の手」に由来しています。

五味醤油の釜

五味醤油の釜

鉤の手を曲がりきったところに五味醤油さんがあり、釜が置いてありました。大豆を煮た釜でしょうか。年季が入っています。

甲府の市街の歩道はタイルのようなところが多く、今日のように雪の残っている日は、滑って危ないところが沢山ありました。

上石田のサイカチ

上石田のサイカチ

甲府市街を過ぎて、荒川橋を渡ると巨木があります。上石田のサイカチと呼ばれている樹齢300年の木です。落葉樹なので葉がついていません。

説明板には、サイカチは川岸の湿ったところに生える木で、もともと貢川(くがわ)の脇に生えており、貢川の流れが変わったため、市街地に残されたと書いてありました。

竜王駅

甲斐市

甲斐市

中央自動車道をくぐると甲斐市になります。甲斐市のマークは、頭文字のKをモチーフとして、造形的にはハートをイメージしているそうです。

ところで、山梨県の市名は、甲州市だの甲斐市だの山梨市だの中央市だの、どれも山梨自体を指すような名前ばっかりで、結局、どこに位置しているのか、県外の人間には見当がつきません。もう少し、個性的な市名にしてくれればよかったのにねぇ。

竜王駅

竜王駅

竜王駅は、立派な様相の駅庁舎でした。設計者は安藤忠雄です。

竜王駅から甲府方面を見たときの眺め

竜王駅から甲府方面を見たときの眺め

竜王駅から甲府方面を見たときの写真です。

この区間の線路は真っ直ぐだったんですね。

散歩データ

コース:JR中央線 石和温泉駅 → 石和宿 → 甲府柳宿 → JR中央線 竜王駅
距離:13.4km
時間:3h49m

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