関宿は、将棋の十三世名人である関根金次郎の出身地ということもあり、将棋に少々興味のある僕としては、いつか訪れてみたいと思っていました。でも、付近を電車が通っていないので、ずっと二の足を踏んでいました。もちろん、日に数本のバスは通っているようです。ただ、それを待つのを考えただけでもストレスに感じて、行く決心がなかなかつきませんでした。今回は、GWということで、関宿を訪れる長距離の歩きに挑戦しました。
中里宿
関宿の見どころは、日光東往還にほぼ隣接しながら点在しています。旧跡を訪ねるために余計な距離を歩かなくてよいのは、願ったり叶ったりです。
日光東往還は、清水公園まで歩いたことがあるので、その続きを歩きます。
下調べをすると、約30kmあります。ちょっと長いな。こんなことなら、前回、七光台か川間まで歩いておけばよかった。
清水公園に8時前に到着。疲れないようにゆっくりと歩くことにします。
駅から1.5kmくらい歩いて、国道16号線より一本西側の日光東往還に出ました。ウグイスの鳴き声が聞こえます。
直線的な道です。この近辺は野田というくらいですから、昔は見渡す限りの田んぼで、真っ直ぐな道が引けてしまったのでしょうか?でも、それにしては大木が目立ちます。
グリコの工場を発見!
アイスクリームを作っているようです。
学生時代に、野田から来ている友達がいて、「野田は醤油だけ作っているんじゃないぞ。コカ・コーラだってあるんだぞ」と言っていましたが、グリコもありましたね。
食品工場のプラントだけあって、ステンレス製のピカピカしたタンクが並んでいました。
丸い円柱の建物を発見!
水道の中継ポンプ場だそうです。水の使用量が急に増えた場合に対応するための水槽なのでしょうか?
格好いい重機を発見!
まるでロケット弾が発射できそうな形態をしています。でも、何に使うんですか?
関宿宿
あっという間に東宝珠花(ひがしほうじゅばな)です。ウソです。10km歩いています。長かったです。
道や周囲に変化がないので、写真があまり撮れません。脇往還なためか、一里塚さえありません。歩くこと自体が好きでなければ、お勧めできない街道です。
でも、この東宝珠花は、将棋の十三世名人である関根金次郎の出身地なのです。ようやく第1の見どころに到達しました。
先ずは、目を引く山王神社にお参りしました。
神社から出る際に、鳥居を見ると、十三世将棋名人関根金次郎の文字が見えました!名人もこの神社にお参りし、奉納もしていたんですね。
道を挟んだ反対側に、墓地があり、その中に関根金次郎の碑と墓があります。
花崗岩の碑が将棋の駒の形になっていたので、分かりました。ただ、周囲に案内板が無かったので、見つけにくかったです。
十三世将棋名人ゆかりの神社とお墓にお参りしたので、歩3枚くらい強くなったかな。かれこれ15年くらい将棋を指していませんし、これからも指す予定がありませんけどね。
関根名人記念館の見学も予定していましたが、つい忘れてしまいました。
二川小学校の横を通るとまたもや「金次郎」を発見!
こちらは二宮金次郎です。
台座には、勤倹力行(きんけんりっこう)と書いてあります。仕事に励み、倹約し、努力するということです。恥ずかしながら、この4文字熟語を今日知りました。ご存知でしたか?
高圧送電線が交差しています。この交差はかなり珍しいのではないでしょうか?
左奥で縦に3本配置された送電線が、より高圧の送電線の下で水平になり、再度縦に直っています。もしかしたら、ここで捻架(ねんか)されて、上下の順番が入れ替わっているかもしれません。もっと注意深く見ておけばよかった。
宝珠花橋のところで、ようやく江戸川の堤防の上に出ました。
ヒバリが鳴いています。
向こうの右岸は、埼玉県春日部市「西」宝珠花です。
そう、もともと1つだった宝珠花村が寛永12(1635)年に起工された江戸川開削工事で東と西に分断されてしまったのでした。当時の川幅は今より狭かったと思われるものの、要した工期は9年強。当時は重機が無かったのですから、人間の意思や力は改めて偉大だと思い知らされます。
利根川と江戸川の分岐点は、まだ先なのに、関宿の関所跡の碑がありました。
昔は、この地点に逆川、権現堂川(利根川の元本流)、江戸川の分岐点がありました。江戸と地方を往来する船は、必ず江戸川の入口を通るため、ここに関所を置いて、江戸への荷物を改めたということです。
桐の花が咲いていました。12月ではなく、今頃咲くんですね。
野田市関宿台町の交差点付近で鈴木貫太郎記念館を発見!
僕は昔から歴史というものが苦手で、鈴木貫太郎という名前を知りませんでした。今回、記念館において、特に偉人だと思えた展示が2つありました。
1つ目は自分で竹箒を持って庭を掃除している写真です。2つ目は産業の無かった関宿に酪農をもたらしたことです。
つまり、総理大臣を経験しても奢らず、生涯にわたって世の為を考えた行動をしたということです。
鈴木貫太郎は、何度も死にそうな目に遭いましたが、その度に命拾いしています。彼でなくては成し遂げられないことをするまで、何かしらの大きな力が彼を生かし続けていたような気がしてなりません。
千葉県立関宿城博物館に到着。
折角なので、入館料200円を払って見学しました。
4階に展望室があり、利根川と江戸川の分岐がなんとなく見えました。
正面に見えている水面は、利根川の上流と、そこから分岐した江戸川です。それに対して、右手の木々の隙間から少し見える水面が利根川です。千葉県の北端はあのあたりですかねぇ。
境宿
博物館を出て、館の北側に回ったところ、変な表示がしてあります。
千葉県と茨城県の県境がこんなところにある。冗談でしょ。千葉は他県と川で分断された島ではなかったんですか?
でも、これは本当なのでした。どうやら、度重なる治水工事の結果、川の様相が変わってしまったのに、県境を動かさなかったので、このようになったみたいですね。
さて、帰りに向かうこととします。
まずは、この橋を通って江戸川流頭部中之島公園に向かいます。
上から見ると、少し先に江戸川が見えます。今日はこの橋の直下には水が無いようです。
中之島公園に入ると、いきなり、ギョッとする看板と出会いました。マムシに注意?!
さぁ、あなたなら左の道と右の道、どちらを選びますか?
僕は、迷うことなく右の道を選びました。付近に人がいないので、まむしに噛まれたら The End です。
棒出しの石と大型掘削機のバケットがありました。
棒出しの石は、前述した関宿の関所の所で、江戸川の川幅を狭めるために使われました。これにより、江戸川沿いでは洪水が起こりにくくなったのです。
関宿水門(上)水位観測所です。昭和63(1988)年まで使われていました。
今は、水晶振動子を利用した水位計が使われているそうです。
関宿水門です。江戸川の始まりと言えるのかな。
関宿閘門です。舟の通路です。
これら関宿水閘門は、土木学会選奨の土木遺産に認定されていました。
関宿閘門を渡り、江戸川の右岸に出ました。閑散とした大駐車場があります。その駐車場の裏方に、何かの観測設備を発見!
これは、転倒ます型雨量計ですね。衛星経由でデータを送っているのでしょう。でも、これだけ広大な敷地があるのだから、もっといろいろな観測設備を置いてもいいのにね。
水田が広がっています。屋敷森があって、富山県の砺波(となみ)平野の風景と通じるところがあります。
それはそうと、家から持ってきた500mlの水を飲み干してしまいました。周囲にはコンビニも自動販売機もありません。ちょっとピンチです。
と、思ったら、幸運なことに道の駅「ごか」を発見!助かった!
昼食がわりにソフトクリームも食べました。練乳のような濃厚な味がして、美味しかったです。疲労が少し回復しました。
上船渡橋を渡って埼玉県に入ります。
幸手駅に向かってなるべく最短距離で進んでいたら、幸手の一里塚跡を発見!
どうして?日光東往還でも一里塚が無かったのに。それよりも主要な街道なの?
そうだったんです。先ほどの上船渡橋あたりから日光街道を上っていたのでした。
4時過ぎに幸手駅に無事到着しました。あ~遠かった。
散歩データ
東武アーバンパークライン 清水公園駅 → 日光東往還 → 東武日光線 幸手駅
距離:32.9km
時間:8h32m
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