江戸時代は遠い昔のことに思えます。でも、山の形はたかだか数百年では変わりません。平塚宿の高麗山(こまやま)は、広重の浮世絵で見たままの形をしていました。
藤沢宿
遊行寺橋から歩くため、藤沢駅で下車します。
一日歩くと交通費が片道500円ずつ高くなっていきます。それだけ家から遠ざかりつつあるということですし、着実に京都に近づいているということです。
伊勢山橋で小田急江ノ島線を越えます。下に見えるのは藤沢本町駅です。踏切ではないので、線路を通すために掘り下げたということですね。騒音対策でしょうか。
引地川を渡ったあたりから、松並木が姿を見せ始めました。いかにも街道っぽいです。
辻堂の一里塚(13里)跡を発見!道の向こう側ででしたが、写真は撮れました。
平塚宿
続いて、茅ヶ崎の一里塚(14里)を発見。駅近くでありながら塚が残されていて、落ち着いた場所でした。
南湖の左富士ポイントに来ました。でも、うっすらとガスがかかっていて、残念ながら富士山は見えませんでした。
小出川のほとりに、国の指定史跡である旧相模川の橋脚がありました。昔は小出川付近に相模川の本流が流れていたようです。
橋脚の史跡から1.5km西側に現在の相模川があります。相模川は、馬入川(ばにゅうがわ)とも呼ばれており、この橋の名前は馬入橋です。
東海道中膝栗毛では、馬入川を渡しで渡ったことが書いてあり、さらに、この川が甲斐の猿橋から流れてきていることも書いてあります。
閑散とした平塚駅の商店街を過ぎたところに、平塚宿の江戸見附がありました。見附とは、「城門」のことで、防御施設だったそうです。でも、こんな小さな石垣で、どの程度の防御性能が発揮されていたのでしょうか?
平塚の最後あたりで、高麗山を発見!広重の描いた高麗山のイメージそのままで、150年以上前の人である広重が急に身近に思えました。
大磯宿
化粧(けわい)坂の一里塚(16里)を発見!実物は残っていません。しかし、多色刷りの看板が立っていて、観光に力を入れていることが伝わってきます。
大磯駅の手前800mくらいの場所で、東海道本線をくぐります。太い道や線路を通さざるをえなかったとしても、昔ながらの東海道は尊重されているようで、大抵はこのような地下道か跨線橋が作られているようです。
鴫立庵(しぎたつあん)です。西行の「心なき 身にもあはれは しられけり 鴫たつ沢の 秋の夕暮」にちなんで建てられたとのこと。いかにも風流なところでした。
伊藤博文の旧居前を通ります。中華料理屋だった時もあったとのことですが、現在は何の営業もされていないようです。諸行無常ですね。
国府本郷の一里塚(17里)の跡は道に埋め込まれていました。
夕暮れも迫ってきましたので、3日目は二宮までとしました。この日も足がパンパンになりました。
散歩データ
コース:JR東海道線 藤沢駅 → 藤沢宿 → 平塚宿 → 大磯宿 → JR東海道線 二宮駅
距離:23.4km
時間:6h44m