幼いころ、永谷園の東海道五十三次カードのフルセットが家にありました。その頃から東海道に興味を持ち、いつか歩いてみたいと思っていました。
千里の道も一歩から。意を決して歩き始めなければ、歩く機会は永遠にやってきません。
そこで、今日を皮切りに歩くことにしました。
日本橋
ガイドブックとして「決定版東海道五十三次ガイド※」を選びました。そこには「むかしの旅人は午前4時頃出発した」と書いてあります。
でも、僕が日本橋に着いたのは07:30頃。最近、あまり歩いていないこともあって、30キロを歩くことさえ難しいでしょう。せいぜい25キロくらい歩いて、明るいうちにさっさと帰って来ようと思います。
折角の機会なので、元標の広場などを丁寧に見ることにしました。里程標には、京都まで、503キロメートルと書いてあります。一日40キロ歩いたとして、13日もかかります。遠いなぁ。
今から歩く東海道(中央通り)は日本の道100選に選ばれています。さすがに、日本の道路の起点のあるこの通りだけは外せません。
広重の浮世絵と現在の日本橋を同時に写真に撮っていざ出発。
ガイドブックには、出発してすぐに銀座発祥之地碑があると書いてあります。でも、既に見逃してしまいました。後戻りするのも癪だし、これから見逃すランドマークも多数あるだろうからということで、どんどん先に進むことにしました。
またもや日本の道100選の顕彰碑を発見!このペースだと、今日中に100選全部見つけられそうな勢いです。
送り仮名がついていない「銀座通」ですが、これでいいのでしょうか?
出発から1時間40分ほどで、高輪大木戸跡に来ました。都会の真ん中に石垣が大切に残されていることにびっくり。
5~6キロしか歩いていないのに、足には既に疲労の気配が。。。やばいかも。
品川宿
山手線と別れるくらいのところから品川宿が始まります。入口には傍示杭(ぼうじくい)が立っています。旅情がかきたてられますね。
出発から2時間20分ほどで、2里目の碑を発見。ただし、ここの一里塚は、江戸中期には既に存在していなかったらしいです。
平和島駅と大森町駅の間に、老舗の和菓子屋さんである「餅甚」を発見!享保元年(1715年)創業だそうです。
店内に入り、少し変わった外観の「三原娘」を買ってみました。クッキー生地で白餡を包んだお菓子で、おいしかったです。三原は近くの通りの名前のようです。「東海道娘」は置いていないのかな。
出発から約5時間で多摩川まで来ました。箱根駅伝だと1時間くらいなので、歩きの5倍ものスピードで走っているんですね。
昔は渡し船で多摩川を渡ったらしいです。現代は六郷橋で渡ります。
川崎宿
江戸時代、川崎側には奈良茶漬けで有名な万年屋がありました。現在は、「長十郎梨のふるさと」と表示された看板が建ててあります。でも、付近にはお茶漬け屋さんも梨園も見当たりませんでした。
八丁畷(はっちょうなわて)駅前の踏切を横断します。
畷とは、真っ直ぐな長い道、または田んぼのあぜ道の意味です。ここでは、前者のことでしょう。8丁は、約872メートル。実際にはややカーブしながら2.9km位続いています。線路も真っ直ぐに通したくて互いに譲らなかったためか、踏切は斜めに交差しており、少し不思議な感じがします。
日本橋から5里離れた市場一里塚を発見!。左側の塚が現存すると書かれていましたが、一里塚初心者なため、どれがその塚なのかよく分かりませんでした。
鶴見川橋を渡ります。上が狭くなっていて、近代的なフォルムです。ちなみに、初代の鶴見川橋は慶長6年(1601年)頃にかけられたとのことです。
神奈川宿
生麦事件の発生地点付近は工事中で、碑の位置が動かされていて、見つけられませんでした
20年も前に司馬遼太郎の小説で生麦事件を知ってからずっと気になっていた場所なのに残念です。
新子安駅入口交差点に到着。初日はここで終わりにしました。
たかだか26kmくらいの距離で太ももがパンパンに張ってしまいました。
帰りの電車では、運よく座ることができました。でも、乗り換えで立つ度に激痛を感じました。いつの日か、東海道を全て歩くことができるのか、ちょっと不安です。
散歩データ
コース:JR中央線 神田駅 → 日本橋 → 品川宿 → 川崎宿 → 神奈川宿 → JR京浜東北線 新子安駅
距離:26.5km
時間:7h33m
※東海道ネットワークの会21:決定版東海道五十三次ガイド、講談社+α文庫、2005
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