今までいろいろな一里塚を見てきましたが、今日の野村一里塚は貫禄があります。椋(むく)の巨木が植えられており、国指定の史跡になっています。
庄野宿
宿泊したスーパーホテル鈴鹿の写真を撮って出発。シンプルなデザインですね。
非常口に階段が無いじゃん!と思ってよく見ると、ベランダの下に四角い穴があって、そこから下の階に階段を下すようです。上の階から逃げてくるときは大変そうだなぁ。
約2.5km歩いて東海道に戻り、そこから約1km歩いたところで、中冨田の一里塚跡(103里目)を発見。塚自体はありませんでしたが、石の柵で丁寧に囲った作りでした。
亀山宿
井田川駅を過ぎたところの歩道橋にローソクを背負ったカメの絵が描いてありました。
亀山はローソクで有名ですからね。
和田一里塚(104里)は、模式復元されているとのこと。しかし、巨大な木が生えていて、昔からの一里塚に見えます。
ところで、このあたりの地元の方々は、とても親切です。こちらが東海道を歩いているらしいと見るや、車の危険もかえりみず車道の真ん中に出てきて、500メートルも前からこの一里塚があることを教えてくれました。
今まで見たことのないバスの形をした自動販売機を発見!大きなボタンと矢印があって、ゲームみたい。買ってみたかったけど、水が売ってなかったので、やめました。
ある家の庇の下に木製の梯子状物体が吊るされていました。用途が分かりません。宗教的なものでしょうか?
別のある家の中には、木工作品が多数展示されていました。三重木工クラブの作品らしいのですが、売り物なのでしょうか?それとも展示してあるだけでしょうか?
野村一里塚(105里)を発見!国の史跡です。椋(むく)の巨木が植わっていました。貫禄があります。
椋の木の一里塚は珍しいようです。この付近の東海道の北には椋川が流れており、それと関係があるのかもしれません。
大岡寺畷(たいこうじなわて)を進みます。自動車がほとんど走っておらず、貸し切りみたいで気持ちがいいです。途中で、朝の旗振りが終わった地元の人と出会いました。この先の関宿では、古い家に人が実際に住んでいること、銘菓が「関の戸」であることなど、関の見どころをいろいろと教えてくれました。
関宿
東の追分で、伊勢路と別れます。100里付近の日永でも伊勢路との追分がありました。日永は関東方面からお伊勢参りするための追分で、こちらは関西からお伊勢参りする人のための追分です。
この一の鳥居付近は、車がスピードを出して走っており、写真を撮るのは結構危険でした。
関宿の町並みが始まるあたりに、「書状集箱(しょじょうあつめばこ)」と書かれた古風な郵便ポストがありました。明治4年(1871年)の郵便創業当時に使用していた型と同じもののようです。
関の街並みは、落ち着いていて、何かほっとするような街並みです。景観を良くするために、電柱も無いそうです。
店先に山車の模型が飾ってありました。詳しい説明書きはありませんでしたが、関にはおそらく2種類の山車があるのでしょう。
石垣屋という旅人宿を見つけました。「1泊素泊り\2,500~」と書いてあります。こんな落ち着いた宿場町に、格安な値段で泊まれるのですから、知っていれば是非泊まりたかったです。
折角、「関の戸」という銘菓を教えてもらったのに、まだ9時前だったので、店は開いていませんでした。
看板は「関能戸」で暖簾は「関乃戸」なんですね。老舗はロゴの細かいところにはこだわらないのかな。
一般民家に、豪勢な彫刻を見つけました。まだ、木が新しいです。こうして、各家で保守をすることで、これからも街並みが守られていくんですね。
坂下宿
古い街並みを抜けて約2km進んだところで筆捨山(ふですてやま)を見つけました。
山名の由来として、美しすぎたためという説と、一晩寝たら山の景観が変わりすぎていて、絵を書き続けることができなかったという説があります。山の形が変わったという説に一票かな。
坂下一ノ瀬一里塚阯(107里)は電柱の脇にひっそりとありました。
鈴鹿峠は石畳でした。
峠を登っている途中、片山神社付近で旧道を見失い、出るはずのないところで国道1号に出てしまいました。GPSを持っていたので戻れましたが、地図だけだと迷子になっていたかもしれません。
鈴鹿峠の登り道は、傾斜が比較的緩やかだったためか、あまりきついとは思いませんでした。下り坂も比較的なだらかで、どこが峠だったのか、正直言ってよくわかりませんでした。
土山宿
新名神高速道路と交差するあたりで、大きな蓋の中に小さな蓋があるマンホールを発見!なぜこんな構成をとっているのか、中を見てみたいです。マンホールが丸い形をしているのは、蓋が中に落ちるのを防ぐためと聞いていますが、大きい方を開けたとき、小さい蓋が穴に落ちるリスクは無いんでしょうか。
綺麗な海道橋(かいどうはし)のほとりに高札が立っています。この橋は、土山の人がお金を出し合って架けたもので、橋がある限り三文払わなくてはならないとのこと。取り立てる人がいなかったことと、あいにく三文を持っていなかったので、払わずに渡ってしまいました。
道の駅「あいの土山」で昼食休憩を取ろうと思っていたら、火曜日の今日は休みでした。今日は、昼食抜きかな。
とぼとぼ歩いていたら、人家の庭先に土山一里塚跡(110里)が現れました。
さらにとぼとぼと歩いていたら、ガイドブックに食事処として載っていた「うかい屋」というお店がありました。ちらっと見ると、お土産物屋さんみたいです。でも、奥は食堂になっていました。
ガイドブックに、昔の旅人は土山で「夕霧そば」を食べたと載っていたので、それを食べたいと伝えたところ、文献には作り方が残っていないとのことで、鴨南蛮を出してくれました。
話を伺ったところ、お店の人は、ガイドブックの著者の一人とのことでした。東海道400年の2001年にはお客さんも多かったそうですが、現在は、一日1人か2人だそうです。でも、全員がこのお店に立ち寄るわけではないのに、毎日お客さんがいるということは、現在でも東海道を歩いて旅行する人はそれなりにいるということですね。
今日は水口に泊まる予定と伝えると、懐石料理を出す比較的高級な宿を紹介してくれました。予約をしていった方が良いと、アドバイスもしてくれました。
今郷一里塚(112里)で、45キロ歩いたことになります。あと4kmくらいで水口(みなくち)宿の中心なので、明るいうちに水口に着けそうです。
水口宿
水口は、道が三筋に通っています。まず、写真の分岐点で2本に分かれ、その左側がさらに2本に分かれて都合3本になります。
3本全部を通ることは大変なので、真ん中を通ることにしました。
水口に到着する前は、温泉宿のように提灯などが釣り下がっている華やかな商店街をイメージしていました。実際は古い住宅街という感じです。
昼食時に教えてもらっていた宿を訪ねると、予約をしていなかったので、断られてしまいました。1人分くらい、なんとかなると思っていましたが、必要十分な量しか仕入れないようです。コスト管理がしっかりできているので、予約を入れていれば、きっとリーズナブルな値段で美味しい食事ができたことと思います。
三筋の道が終わるところに時計台があり、下の方には山車の模型が飾られていました。
この日の宿は、ホテルニューミフクさんにお世話になることにしました。東海道から500mほど離れているものの、近くにスーパーマーケットがあって、栄養のバランスが良さそうなお弁当が買えました。セブンイレブンもあって、お金もおろせました。また、水口宿の出口付近にあり、京都に少し近いというメリットがあります。
あと京都まで50km強。一日で歩けない距離ではありません。名残惜しい気もしますが、明日、三条大橋まで行きます。
散歩データ
コース:庄野宿 → 亀山宿 → 関宿 → 坂下宿 → 土山宿 → 水口宿
距離:52.6km
時間:13h37m
出費:宿泊費 \5,500、食費 \1,651