環状二号線の北側の部分は何度も歩いたことがあるので、今日のルートを歩くことについて、当初、あまり気乗りしませんでした。
でも、道路脇をつぶさに見ていくと、新しい発見がありました。。
楷書の語源とも言われる「楷(かい)」の木を発見することができました。
また、「御茶の水」の地名の由来となった場所も見つけました。
秋葉原界隈
今日は秋葉原から出発です。昭和通り改札から出ました。
昭和通りを南に約70メートル歩いたところの書泉ブックタワー前が、環状二号線の起終点になります。交差点名は無いみたいです。
起終点から進行方向を眺めてみました。
環状二号線の上を通っている鉄道は、京浜東北線です。
右手を見ると、「佐久間橋」と書かれた親柱が立っていました。
暗渠になってしまった川の名残のようです。その流れは、秋葉原の駅の下から流れ出て神田川方面に流れ込んでいるように見えました。
京浜東北線の下をくぐると、秋葉原駅の電器街口が見えます。
学生時代は、十字に交差した秋葉原駅の構造と、駅構外の関連性がつかめず、僕にとって難しい駅の一つでした。
昔の秋葉原には、このようなジャンク屋さんがあちらこちらにありました。しかし、最近ではほとんど見かけません。日本の電子工学技術の伝承のため、いつまでもお店を続けて頂きたいと心から思います。
計測器ランドに置いてある、昔の計測器には味があります。一種の芸術品で、見ていて飽きません。
丁寧に作られているので、今でも高精度に測定できると思います。
湯島聖堂
昌平橋の上から神田川を眺めてみました。
ウィキペディアによれば、この辺りに明治41年から45年までの4年間、中央本線の始発駅にもなったことのある、昌平橋駅がありました。しかし、今は痕跡もないとのことです。
僕には、左の煉瓦造りの中にあるお店あたりが駅の痕跡に見えますけど。
神田川に沿っている鉄道は中央線、神田川を跨いでいるのが総武線です。総武線の橋の下に見える橋が聖橋です。
昌平橋と聖橋の間の左岸に、湯島聖堂があります。孔子をお祀りしています。
丁度、96年前(大正12年)の今日(9月1日)、関東大震災で、焼失してしまい、その後、昭和10年4月に鉄筋コンクリート構造で原型に戻したそうです。
孔子と言えば論語、論語と言えば、今度一万円札の肖像画になる渋沢栄一に思い至ります。
湯島聖堂と渋沢栄一のつながりを調べてみたところ、その関東大震災からの聖堂復興期成会で副会長を務めていたとのことでした。
楷(かい)を発見!
楷は樹木の名前です。孔子の墓所に弟子の子貢(しこう)が植えた樹とされる名木です。枝や葉が整然としているので、楷書の語源になったとも言われるそうです。
言われてみれば、この木の形、立派です。
ちなみに、日本名はトネリバハゼノキといい、ウルシ科とのこと
こちらが葉の様子です。確かに整然としています。
楷書の楷の字に、どうして木偏が付いているのだろう?なんて考えたこともありませんでしたが、一つ勉強になりました。
聖堂です。人が次から次へと訪れてきていました。
孔子は中国の人ですから、神格視されていても柏手は打たなくていいんですよね?
東京医科歯科大学と順天堂醫院
湯島聖堂を出たところに、東京医科歯科大学があります。
壁にレリーフがあったんですね。初めて気付きました。
一枚ものに見えますが、3点に分かれていて、左は「ヒポクラテスの誓い」、中央は「アテネの学堂」、右はマサチューセッツ総合病院で行われた世界最初の全身麻酔公開実験の様子なのだそうです。
あれ?全身麻酔は花岡青洲が世界初ではなかったんでしたっけ?青洲は公開実験をしなかったので、このレリーフが世界最初ということになっているのでしょうか?
ちなみに、これらは「診療」「教育」「診療」を題材としているとのことです。
湯島聖堂の出口は、聖橋の上にあります。聖橋は工事中でした。
聖橋の上は、都道403号線が通っていて、これを横切ったところ(東京医科歯科大学敷地外の角)に「近代教育発祥の地」がありました。昌平坂学問所(昌平黌:しょうへいこう)が寛政9年(1797)に作られたそうです。
ちなみに、湯島聖堂にはニコライ堂の建設期間中(1884~1891)に撮影した写真が展示されていて、この東京医科歯科大学の敷地には、東京高等師範学校がありました。
東京医科歯科大学の隣には順天堂醫院があります。
「病院」には治療の意味がありませんが、醫院の「醫」の字には、「治療」の意味があるので、あえてこの名称を使っているらしいです。
先の写真によれば、この地には東京女子師範学校がありました。
「お茶の水」の由来となった場所を発見!
元和年間(1615~1626)以前、ここにあった高林寺の境内に湧き水があり、それを「お茶の水」として将軍に献上したことが地名の由来とのことです。
現在は小ぎれいな公園になっています。
また、この写真の坂には「御茶の水坂」という名前が付いています。
外濠
飯田橋まで来ました。
道の左側の緑地は皇居の外濠です。現在、この部分は暗渠になっています。
外濠の水質改善のためしゅんせつ工事をしていますとのことでした。
濠の底にたまった冨栄養化した泥を取り除くことで、窒素やリンが溶け出てくる量が減るので、水がきれいになるようです。
市谷見附交差点で、左から靖国通りが合流してきます。
交差点の直進方向の左側の車線は3本あり、そのうち一番左側の1車線が環状二号線で、さらに外濠に沿って続きます。
残りの2車線は靖国通りで、新宿に向かいます。
環状二号線のこちらに向かってくる道は、一つ先の青信号になっている市谷八幡町交差点で、靖国通りに合流します。
国史跡江戸城外堀跡(外濠公園)を発見!
説明板を読むと、外濠は、大名52家が分担して開削した一大土木工事だったとのことです。
さらに説明板によれば、このあたりの外濠の水は、湧水や玉川上水からの水を使っていたとのことです。
僕は、神田川からの水を回していたのだと思っていました。しかし、標高は、こちらの方が20m近く高いので、ありえない話でしたね。
単に水路を引いただけでは川のように水が流れてしまうため、喰違、四谷門、市谷門、牛込門といった堰を設けて、水を貯めていました。よく考えてあります。
ところで、実際の外濠公園は、グラウンドがあるだけで、史跡としてどこを見ればいいのかいまいちよく分かりませんでした。
ただ、外濠公園の一角には、土木学会の立派な建物(写真は撮り忘れました)がありました。江戸時代からの一大土木工事を連綿と受け継いでいるためでしょうか?
四谷見附北交差点で、旧甲州街道と合流します。
今日の散歩はここまでとしました。
散歩データ
コース:JR山手線 秋葉原駅 → 環状二号線(起終点~四谷見附北) → JR中央線 四ツ谷駅
距離:7.9km
時間:2h4m