隅田川を歩く | 両国広小路を発見! | 隅田川橋梁~萬年橋

両国駅は隅田川の東側(左岸)にあります。でも、今回、隅田川の西側(右岸)で両国広小路を見つけました。このあたりの住所は中央区東日本橋なのに、どうして「両国」広小路なんでしょうか?

両国広小路

今日の散歩は総武線の鉄道橋である隅田川橋梁から開始します。

隅田川橋梁

隅田川橋梁と隅田川テラスの入口

橋梁が見えるところまで来たところで、川沿いの隅田川テラスを歩こうかなぁと思いました。しかし、ここでGoogleマップを確認したところ、近くに日本文具資料館があることを知り、そこを見学したくなったので、数歩後ずさりして総武線をくぐりました。

でも、日本文具資料館は土日休みなので、日曜日の今日は休館日じゃん。

隅田川テラスに戻る気にもなれず、そのまま南下すると、神田川にかかる柳橋が現れました。

神田川の河口と両国橋

神田川の河口と両国橋

柳橋から神田川の河口と両国橋が見えます。両国橋は、やや上に凸のカーブを描いていてなかなか格好が良い橋です。

旧跡 両国広小路

旧跡 両国広小路

更に少し歩き、両国橋からの通り(国道14号線)との交差点に出たところで「旧跡 両国広小路」を発見!

碑の中の地図を見ると、昔の神田川は緩やかに弧を描きながら隅田川に合流していて、その神田川に沿って両国廣小路が描かれています。

ここで、冒頭の「両国」に関する地名の疑問が湧いたので、調べてみました。

そもそも、隅田川は、武蔵国と下総国の境界であり、この地には橋がありませんでした。

ところが、明暦の大火(1657年)で逃げ場を失って焼死した者が多数出たため、通称「両国橋」と呼ばれた「大橋」が万治2年(1659年)に架けられました。さらに、延焼防止のため、広い道が設けられました。

現在、中央区東日本橋と呼ばれるこの碑の周辺は、当時「両国」という地名だったので、「両国広小路」と名付けられたのです。

これに対して、両国橋の向こうの東側は「東両国」と呼ばれていました。しかし、両国駅や両国国技館が開業されると、次第に東両国が「両国」と呼ばれるようになり、それにつれて西側の右岸は「東日本橋」という名前になっていったとのことです。

地名が移動するなんて面白いですね。

ちなみに、ここは江戸三大広小路の一つであって、残りは上野広小路と浅草広小路です。
上野広小路は、上野広小路駅の上を南北に走っている通りのようです。また、浅草広小路は、雷門の南を東西に走る通りのようです。

両国橋の親柱

両国橋の親柱

両国橋のたもとに来ました。

この親柱の形が奇妙で、いつも気になっていました。

でも、両国橋の歴史を調べる過程で、ここが「たまや」「かぎや」の掛け声発祥の地と分かれば話は簡単です。そう、打ち上げ前の「花火」ですね。

親柱の脇には打ち上げの順番を待つように、小さな丸い球も多数ありました。

松尾芭蕉

今日の隅田川

今日の隅田川

今日の隅田川はこんな感じ。と、言っても、普段とあまり変わりはありません。

高速道路が右岸から左岸に渡っていますが、この左岸に着いたところから堅川(たてかわ)が始まっています。この隅田川に近い橋から順に一之橋、二之橋と名前が付いていて、一之橋は両国橋を避けた赤穂浪士が泉岳寺に向かう時に初めに通った橋として有名です。

ボタンの博物館

ボタンの博物館

ボタンの博物館がありました。完全予約制だそうです。入れないとなると入りたくなりますが、入れません。

隅田川を眺める二羽の鳩

隅田川を眺める二羽の鳩

鳩が二羽、仲良く川を眺めていました。

「ばーさんや、今日も隅田川はのどかじゃのぅ」「そーじゃね、じーさん」と話し合っているような雰囲気で、なんとも癒される光景でした。

新大橋

新大橋

こちらは「新大橋」。初代の「新大橋」は元禄6年(1693年)に架けられました。当時、この橋の近くの深川には松尾芭蕉が住んでいて、橋が架けられたことを喜んで詠んだ句が、新大橋の中央付近のプレートに示されていました。

その2句のうちの1つが「有難やいたゞいて踏む橋の霜」です。

橋の上の霜を踏んで、足跡が付くのがが子供のように嬉しかったのかな?それが諧謔というものなのでしょうか?

清洲橋

清洲橋

左岸に渡ると吊り橋である清洲橋のほぼ全景が見えます。
そのまま歩いていると、堤防の向こう側の建物の側面に「江東区芭蕉記念館」の文字が見えました。

旧新大橋跡

旧新大橋跡

建物の正面を見るため、一旦通り過ぎて堤防を越え、萬年橋北の交差点から北に戻ろうとしたとき、「旧新大橋跡」を発見。「旧」なのか「新」なのか、はっきりしろ!と、突っ込みたくなってしまいました。

江東区芭蕉記念館

江東区芭蕉記念館

江東区芭蕉記念館の正面は、庵への入口みたいな門があり、ちょっと風流です。でも、俳句のことは良く分からないので、館内に入ることは止めました。

江東区芭蕉庵史跡展望庭園

江東区芭蕉庵史跡展望庭園

再度、隅田川に沿って南下すると、江東区芭蕉庵史跡展望庭園があります。

門の左側に立て看板があり、芭蕉について書いてあるのかと思って近づいたら大間違い。「赤穂浪士ゆかりの道」とありました。四十七士は、吉良邸からここを通って泉岳寺に行ったんですね。

なお、この展望庭園の階段は踏み面が一定でなく、風流に作ってあって、昇降しにくいので、ご注意ください。

萬年橋

萬年橋

萬年橋は小名木川(おなぎがわ)にかかる橋です。

この写真を撮影した場所の近くにあった説明板に、ここから見る「清洲橋」がドイツの眺めのようで美しいと書かれていたようですが、「萬年橋」と読み違えていて、「ふーんこれが美しいということなのか、同じような箇所が4箇所あるのにどうしてここからの眺めが美しいと言われるのかなぁ」と、ボケたことを考えていました。たいした距離を歩いていないのに、疲れていたんですね。きっと。

相撲部屋

陸奥宗光宅跡

陸奥宗光宅跡

今日の散歩はこれくらいにして、行ったことのない清澄庭園を見てから帰ろうと思っていたとき、陸奥宗光宅跡を発見。輝かしい外交官・政治家の経歴がいろいろと書いてありましたが、結局、何をした人なんだろう?

陸奥宗光宅跡の横にエリアマップがありますが、この清洲橋通りを渡った反対側にも同様のエリアマップがあって、そちらで清澄庭園への道を調べていたら、この周辺に多数の相撲部屋があることが分かりました。

そこで、清澄庭園の見学は止めることにして、相撲部屋を見に行くことにしました。

横綱通り

横綱通り

「横綱通り」っていう通りがあるんですね。

北の湖部屋の建物からは看板が外されているようでしたが、「大獄部屋」「錣山部屋」「尾車部屋」「高田川部屋」の外観を見ることができました。

散歩データ

コース:JR総武線 浅草橋駅 → 隅田川 → 東京メトロ半蔵門線 清澄白河駅
距離:5.6km
時間:1h47m

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