小学校で「工場屋根は光を採り入れるため、のこぎり形をしています」と教わりました。
でも、のこぎり形の工場なんて、とーんと見かけたことがありません。
甲州街道を歩いていたら、のこぎり屋根の工場があったので、ちょっぴり感激しました。
日野宿
今日は、日野駅から甲州街道を歩きます。
日野は、日野宿を中心に観光に力を入れていますね。消防団の器具置場も土蔵のような形です。
この写真を撮ったところの左横にまちかど写真館があり、この写真と同じ構図で撮影した昭和20年の写真があります。
当時の道は砂利道で、右手の電柱のところから道の下を横切って、日野用水がありました。
甲州街道は、中央線で斜めに横切られてしまいました。
この写真は、中央線を渡った後、振り返って、その横切られたところを撮影しています。
昔はここに踏切があったようですが、跡形もありません。
日野といえば日野自動車。その自動車工場にのこぎり屋根を発見!うーん、素晴らしい。
ウィキペディアによれば、のこぎり屋根の採光面は北側が多いとのことです。でも、甲州街道は、この工場の南側を通っているので、採光面は南を向いていることになります。ウィキペディアは、主として色味にうるさい織物工場について述べているのであって、自動車工場はあまり色味にうるさくないということなのでしょう。
八王子宿
八高線を越えます。八高線は単線なんですね。これだけ深く掘っている理由は防音対策でしょうか。
八高線は、群馬の生糸を横浜に運ぶために出来たシルクロードなんですよね。甲州街道も山梨や長野の生糸を運んだ道ですから、ここはシルクロードの交点ということになります。
八王子のマンホールの蓋のデザインは、無形民俗文化財である「車人形」だそうです。
浅川を大和田橋で渡ります。
- Owada Bridge
- Colored tiles showing incendiary marks.
八王子市は、昭和20(1945)年8月2日にB29爆撃機180機の空襲を受けました。その際、この大和田橋の下に逃げた多数の方々が助かったそうです。橋の上にも焼夷弾が多数投下され、そのうち、歩道に残された跡が17箇所色タイル等で示されています。
戦争の無惨さを改めて思い知らされました。
江戸から12里を示す竹の鼻の一里塚です。
ここが八王子宿の入口で、道は左折、右折と続いて鉤の手(かぎのて)になっています。
一里塚から3.5kmほど進んだところの石碑です。
甲州街道はここも小さな鉤の手になっています。昭和2年に今の20号線に相当する新しい道ができ、それ以前の道の状況が石に刻まれています。
昭和56年に再建されているようですが、遠近法を気にしない味のある絵も初期の石碑から引き継いでいるのでしょうか。
多摩御陵のケヤキ並木です。(手前に一本あるのはプラタナス)
多摩御陵は参拝できるらしいです。この日は参拝時間を過ぎていましたので、次の機会に参拝したいと思います。
高尾駅です。
高尾駅は、昔、浅川駅と呼ばれていました。さっき大和田橋で渡ってきた川の名前です。
駅外から初めて駅舎を見ました。立派な構えです。
散歩データ
コース:JR中央線 日野駅 → 日野宿 → 八王子宿 → JR中央線 高尾駅
距離:12.9km
時間:2h38m
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