韮崎宿
竜王駅
安藤忠雄氏が設計した竜王駅で、電車を降ります。
南口に出たら、ここは、富士山ゲートと呼ばれていました。竜王駅から富士山まで、直線距離で約40kmも離れていますよ。ちょっと無理がありませんか?
ちなみに、北口は、昇仙峡ゲートと呼ばれているらしいです。
駅を出ると、山県大弐(やまがただいに)の像がありました。どなた?
竜王駅から南へ約1.5km篠原で生まれた江戸時代中期の大学者だそうです。江戸の八丁堀で塾を開き、医学や兵法を講じたとのことでした。
直径45cmの大型の道祖神がありました。台には「衢神」と書かれているようです。読み方は分かりません。「衢」は「ちまた」という意味があります。また、音読みでは「く」です。説明板には、互助的な集会協議会の場所だったと書かれていました。互助的な集会とは、山梨文化の「むじん」のことでしょうか?
山梨県営発電総合制御所
赤坂台総合公園の近くに山梨県営発電総合制御所(クリーンエネルギーセンター)を発見!
その敷地内に、現役を退いた発電用の水車が数台展示されていたので、見学させていただきました。
これは、ペルトン水車です。ノズルから放たれた水をバケットで受けて回ります。水は空中に放出された時点で1気圧になってしまうので、圧力によるエネルギは期待できません。代わりに、速度によるエネルギが重要となるので、高落差の水力発電に使われています。
これは、フランシス水車です。水車付近の水は外気と接触しない構成なので、圧力によるエネルギを使うことができます。すなわち、圧力と体積を掛けるとエネルギの次元になるので、低落差で圧力の増分が小さくても水量が大量であれば、結果として大きい電気エネルギを得ることができます。
水車の左側に4本立っている棒の下部にはガイドベーン(案内羽根)がついていて、これで水量を調整します。また、写真では見難いですが、ランナベーン(運転羽根)と下枠の接続部付近は、キャビテーションで削られています。
実際に使われていた本物が展示されているからこそ、いろいろな発見ができて面白かったです。
見学を終えて甲州街道に戻ると、芝桜が綺麗に咲いていました。
南アルプスの見える風景
写真を撮りませんでしたが、下今井では、多くの家が甲州街道に面し、かつ、家の長手方向が甲州街道に垂直に建てられていました。いわゆる短冊地割の名残だったのでしょうか。
中央線をくぐります。歩道が随分立派です。
塩崎駅を過ぎて500mくらいのところで、なまこ壁の民家を発見!
後ろに南アルプスの山も見えて、街道を歩いているという気分になります。
白い山々の中で、一番白い山が観音岳、そのすぐ左が薬師岳、右にちょっと離れて地蔵ヶ岳で、これらは鳳凰三山と呼ばれています。
塩川を塩川橋で渡ります。橋は工事中でした。
海なし県の山梨に、どうして、「塩崎」とか「塩川」とか「塩」の付いた地名や川の名前があるのでしょうか?
どうやら、塩川に関しては、上流のみずがき湖のほとりに、塩分を含んだ泉が湧いているらしいです。だったら、上杉謙信から塩を送ってもらわなくても、もしかしたら大丈夫だったってこと?今度、調査に行ってみたいです。
このあたり、西の方には御勅使川扇状地(みだいがわせんじょうち)が広がっているはずなんですが、よく分かりませんでした。
船山橋を通る通りは鰍沢(かじかざわ)横丁と呼ばれているらしいです。ここも鰍沢も富士川(釜無川)沿いではあるものの、川ではなくて道(富士川街道?)を指しているようです。20km弱の距離があっても横丁なんですね。
韮崎
韮崎って、中央線で通ると街並みがほとんど見えないので、あまり大きくない町だと思っていました。
でも、その考えは間違いでした。甲州街道沿いは栄えている街でした。
- Trace of Nirasaki-juku Honjin
- Nirasaki Heiwa Kannon
本陣の跡と、観音様を見つけました。
一ツ谷の交差点付近に十六石の石碑を発見。武田信玄が、釜無川の水害から河原部村(現韮崎市)を守るため、実施した治水工事の際に、根固めに据えた巨大な石が十六石なのだそうです。ただ、石碑の周りには見当たりませんでした。少し離れた場所にあった大きな石が十六石なのかもしれません。
信玄が治水をしたかどうかはともかく、釜無川の対岸は、武田という地名です。武田の初代当主である武田信義の館跡があって、武田発祥の地とされています。それだけに、大切にされていた土地であることは間違いなさそうです。
新府城を過ぎたころ、沢山の鯉のぼりが泳いでいました。
鯉のぼりの後ろで山のように見えるのが七里岩(しちりいわ)。崩壊した八ヶ岳の岩屑流(がんせつりゅう)によってできた台地です。この先端は尖っており、韮の先のような形をしているので、韮崎という地名にもなっています。
穴山付近では、電柱が植物によって占拠されていました。さすがに配電線は撤去されているようです。でも、どうしてここまでという感じがします。
徳島堰
穴山橋で釜無川を渡り、600mほど行ったところに、水が満満と流れている徳島堰(とくしまぜき)がありました。
手元の地図を見ると、取水口まで500mくらいだったので行ってみることにしました。
途中、女子高校生に「こんにちは」と挨拶されてしまいました。あわてて僕も挨拶しましたが、東京でそのようなことに出くわしたことがないので、びっくりしました。
取水口に近づくと、「徳衆潤」の文字が書かれた石碑がありました。徳島堰が民衆を潤わせるというような意味でしょうか。揮毫したのは、地元の有力政治家だった金丸信さんです。
これが取水口付近の写真です。水量が多くて危険なためか、これ以上、近付かせてもらえませんでした。
帰ってきてから調べてみると、徳島堰は徳嶋兵左衛門によって開削が始められた山梨県内最大の農業用水路で、17kmあるそうです。「月夜でも焼ける」と言われた干ばつ地帯での耕作が可能となり、地元の人は現代でも多大の恩恵を受けています。
徳島堰から600mほど進んだところで、見つけてしまいました。ロケットでしょうか?英語では、非常に難しいことをロケット科学(rocket science)に例えることがあります。人知れぬ山梨で、ロケット研究をしている人がいるようです。(多分違うでしょうが、用途は分かりません)
日野春駅
大武川橋の手前で、昨年末に歩いたところに辿りつきましたので、今日の街道の旅はここまでです。右に折れて、日野春駅に向かいます。
日野春駅の直前で、咲いている桜を見つけました。およそ600mの標高があるので、4月の終わりのこの時期に満開でした。
散歩データ
コース:JR中央線 竜王駅 → 韮崎宿 → JR中央線 日野春駅
距離:24.7km
時間:6h13m