日本の標高の基準となる地点に興味があったので、霊岸島水位観測所を見に行ってきました。伊能忠敬の住居跡にも寄ることができたので、地図好きには楽しい散歩でした。
伊能忠敬住居跡
先日、門前仲町から日本橋川沿いを散歩した後、地図を見ていたら、伊能忠敬の住居跡が門前仲町の近くにあったことを発見。立ち寄ればよかったなぁと思っていました。
今回、霊岸島水位観測所を見にいくにあたり、近くの駅を調べたところ、月島、門前仲町、東京が候補にあがったので、門前仲町から東京に出るルートを迷わず選択しました。
まずは、門前仲町の駅を出ます。先日とは違う出口に出ました。地下鉄の駅を出ると、たいてい、方角を把握するまでしばらく時間がかかります。今回もやはりなかなか分かりませんでした。でも、高速が見えたので、そちらが北であることが判明。比較的広い道を選んで歩き、8階建てのビルの前に、伊能忠敬の住居跡を示す石碑を発見しました。
隣りには、麺屋縁道さんがあります。人気店なのでしょう、人がずらっと並んでいて、写真を撮っていると若干の視線を感じました。
東京海洋大学
門前仲町の駅までいったん戻り、あらためて南西に向かいます。黒船橋を渡ると越中島。ほどなく左手に第一観測台(東京商船大学旧天体観測所)が見えました。
明治36年に作られた建物で、内部には当時東洋一と言われた天体望遠鏡があったとの説明書きがありました。東京海洋大学のホームページによれば、屋根の半球形ドームは手動で360度回ったとのこと。過去形で書いてあるので、今はもう動かないのでしょう。
天体観測所にはこのような半球形ドームがつきものです。僕は小学校に入る前、渋谷にあった五島プラネタリウムに連れて行ってもらったことがあり、この半球形ドームの中にはプラネタリウムがあって、上映もできるんだと思いこんでいました。でも、国立天文台三鷹キャンパスの一般公開のときにドームの中に望遠鏡しかないことが分かり、ようやく正確な知識を得ました。
今の第一観測台の周辺には木々が生い茂り、望遠鏡があっても空が見えないほどです。
漆喰部分の壁はやや不自然に汚れていますね。目立たないようにして、戦争中に飛行機から狙われるのを防ぐためだったのでしょうか。
第一観測台から100mほど行くと、明治丸が見えました。明治丸という名称や存在は、今回初めて知りました。
明治天皇が青森から函館を経由し、横浜に巡幸したときに乗った船がこの明治丸で、横浜に着いた7月20日が海の日になったそうです。歴史と祝日を作った船なんですね。
第一観測台や明治丸は、東京海洋大学の敷地内にあります。他にも興味深いものがたくさんあり、見学もさせていただけるようなので、折をみてまた来ようと思います。
月島
東京海洋大学を過ぎると相生橋が現れます。トラス橋自体は珍しくありません。でも出入り口が道に対して斜めであることは珍しいです。航空写真で見ると平行四辺形に見えます。
相生橋を渡ると月島。もんじゃが美味しいところです。でも、お店が現れる前に右折して、中央大橋を渡ります。僕は、この中央大橋を右側(東側)の歩道で渡ってしまいました。でも、霊岸島水位観測所を見るのであれば、左側(西側)を渡ることをお勧めします。
中央大橋を渡るとようやく霊岸島。橋の下をくぐる道があり、すぐに水位観測所側に出ることができました。
霊岸島水位観測所
霊岸島水位観測所を発見!ここでは、水位を観測しているので、水面と一緒に写すことが基本だと思います。ただ、観測所の設置場所は陸地の角付近であり、手前に手摺もあるので、良いアングルの写真を撮ることは難しいです。
三角形のフレームは、高さを示す逆三角形▽をイメージしていて、下の頂点がA.P.0m(Arakawa Peil 0m = 荒川の基準高さ ≒ 海底)を指しています。明治の6年から明治12年の観測により、東京湾平均海面(T.P.0m)はA.P.0mからの高さとして1.1344mと求められました。プールと同じくらいの深さですね。意外と浅いです。
あれ?何で荒川の基準なの?ここは隅田川でしょ?
その答えは、昔はここが荒川の本流だったからですね。
あれ?地図を見ると霊岸島水位観測所の位置って、まだまだ隅田川の途中だよね?それなのに、東京湾の平均水位なんて言ってしまっていいの?
隅田川は、霊岸島と月島の間を流れています。月島は明治25年からの埋め立てでできた人工島なんですね。だから、水位を観測していた明治12年頃までは、海に見えていたはずです。
あれ?海面っていつも波打っているのに、何でサブミリメートルまで求められるの?
それは、何度も観測したからですね。6年3ケ月間毎日観測したそうです。そうすると、約2280日分のデータがあるわけです。1回の読み取り精度が10mmとしても、2280回測定すれば、精度はその平方根分の1に高まるので、10/47.8≒0.21[mm]の精度で読み取ることができるわけですね。
ところで、付近の看板に次のようにも書かれていました。
「明治24年5月に、T.P.0mを基準として、千代田区永田町の日本水準原点の高さを24.5000mに定めた。しかし、関東大震災の影響で、昭和3年に24.4140mに改訂され現在に至っている」
でも、現行の測量法施行令第二条第2項第二号には「原点数値 東京湾平均海面上二十四・三九〇〇メートル」とあります。そうです。平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震の影響のため、2011年10月21日から値が変更になっているのです。
地震から値の変更まで224日しかありませんね。毎日観測したとしても、精度は約1/15までしか高められません。昭和3年の改訂時より有効数字が1桁少なくなっているように見えなくもないのは、観測日数が十分ではないことに起因しているのかもしれません。
ところで、地震の度に日本水準原点の標高は低くなっていますね。このスピードが続くとすると、26,607年後には国会議事堂周辺が海になっていることになります。小松左京の日本沈没は、時間のスパンは全く異なるものの、あながち冗談でもなさそうです。
一等水準点交無号(こうむごう)
屁理屈ばかりで疲れましたね。周囲を探していたら、一等水準点「交無号」を見つけました。説明文には、交無号からの測量で、日本水準原点の標高が決定されたとあります。でも、東京湾の平均海面(標高0m)から交無号までの標高の決め方が書いてありません。水位観測所の量水標から直接求めたのか、それとも量水標近傍の内務省地理極水準標石(霊岸島旧点)から求めたのかを明確に書いておいて欲しかったです。
なお、この看板に書かれている標高は、国土地理院の基準点成果等閲覧サービスで調べられる数値より3cmくらい高い数値です。
地形は刻々と変化していて、測量は終わりのない仕事ですね。
中央大橋を渡るときは橋の上に人が沢山いたり、背景にビルがあったりして、良い写真が撮れなかったので、改めて撮りました。
東京駅
亀島橋を渡り、霊岸島を後にしました。
東京駅に向かう途中で歌川広重の住居跡があるようだったので、探してみました。でも、今回は見つかりませんでした。
東京駅に着きました。ここしばらくの間、工事していたようですね。このひさしをつけていたのでしょうか。
ひさしの格子状のラインと、JR東京駅と書いてある透明の壁の縁が平行でないので、歪んで見えます。なんか日本人らしくない設計だなぁと思うのは僕だけでしょうか?
散歩データ
コース:東京地下鉄東西線 門前仲町駅 → 霊岸島水位観測所 → JR山手線 東京駅
距離:5.4km
時間:1h7m
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