千川上水から分かれた王子分水は、鹿島紡績所、抄紙会社(後の王子ホールディングス株式会社)、大蔵省紙幣寮印刷局(後の国立印刷局)の工業用水として使われました。今回、その分配地点だったところを見つけました。
王子駅界隈
王子駅で降りました。
中央口から東に向かう予定なので、東側の入口の写真を撮ろうと思ったら、駅名表示がありませんでした。そこで、仕方なく、西側の写真を撮りました。
王子駅の東側にある、涸れ川のような旧石神井川沿いを歩いていたら、蒲の穂を発見!
蒲の穂は昔はよく見かけました。でも近頃は、目にすることがありませんでした。30年ぶりくらいに見たような気がします。
溝田橋の交差点から環状五号線の続きを歩きます。
今歩いている道は明治通りで、明治通りはこの溝田橋交差点を左折していきます。でも、環状五号線交差点を直進です。
首都高速中央環状線の下に、丸に十字の形をした形状物が5つ並んでいます。アンテナなのでしょうか?アンテナだとすると何を測定しているのでしょうか。気になります。
環状五号線は、この王子三丁目の交差点でほぼ45°の鋭角に左折します。
明治通りを素直に使わずに遠回りした理由は、この「ほりぶん」の前を通るためだったりするのでしょうか。スーパーマーケットだったようですが、2018年の11月に閉店してしいました。
後ろの金属光沢の半球状の建物は、「北とぴあ」です。
王子駅前に戻ってきました。
歩道橋に登って、西方面を撮りました。
石神井川が崖を削って出来た坂は、都電荒川線が走っている明治通りになっています。
でも、さらに大昔の石神井川は、崖を越えずに、谷田川・藍染川となって、不忍池方面に流れていました。
駅の下をくぐり、坂を上ります。
環状五号線(明治通り)は飛鳥山を背に、南西方面に向かいます。
後ほど、この道を行きますが、先ずは、飛鳥山に寄ることにしました。
飛鳥山
飛鳥山には災害用給水所がありました。
飲料水としては利用できないと書いてあります。風呂やトイレに使うことを想定しているのでしょうか。
飛鳥山にはD51があったんですね。
神戸の鷹取工場で1943年に作られ、地球を48.5周に相当する距離を走った後、1972年に廃車になったとのことです。
僕は、機関車を見たら、確かめたいことが一つありました。それは左右の動輪です。
こちらが右側の動輪です。
こちらが左側の動輪です。これを見て、ホッとしました。その理由は次の通りです。
右側の動輪は、動輪の下の位置に主連接棒が付いています。左側の動輪は、動輪の横(前)の位置に主連接棒が付いています。つまり、左右で連結位置が90°ずれているということです。
もし、右の動輪も主連接棒が横の位置についていたらどうなるでしょう。蒸気が主連接棒を押しても引いても動輪に力が上手く伝わりません。例え力が伝わったとしても、前に進む確率と後ろに進む確率がほぼ一緒になって、機関車が進む方向を制御することができません。
実際には、右側では主連接棒が動輪の下の位置に付いているので、(機関車の前方から)主連接棒を押せば機関車を前に進ませることができ、引けば後ろに進ませることができます。
また、動輪には半円状のカウンターウェイトが付いていて、回転時にバランスを取っていることを今回初めて気付きました。
さて、今回、飛鳥山に寄った最大の理由は、この渋沢史料館に来たかったからです。
お札の顔になるからじゃありませんよ。昔から来たかったんです。
特に、史料館は2019年9月1日から2020年3月27日まで長期休館になってしまうので、今回を逃すと暫らく来れなくなってしまいます。
史料館の展示を見学したからといって、栄一翁の偉大さに何一つ近づくことはできません。でも、史料を目の前にすると、何十年か前にその史料を作成し、印鑑を押していた翁の姿を身近に感じることができました。
考え方の根幹にあったのは論語だったんですね。道徳経済合一という信念を持っていたことも初めて知りました。
史料館のチケットは、晩香廬、青淵文庫も見学できる三館共通券でした。洋風の室内装飾を堪能したり、調度品に座ったりして、ちょっと得した気分になりました。
西ヶ原一里塚
王子界隈には、もう一つ、行っておかなければならない場所がありました。
この前、谷田川・藍染川沿いを歩いた時には気がつかず、スルーしてしまったところです。
それが、ここ。
西ヶ原一里塚です。一対が残っている一里塚は珍しく、東京都では、志村一里塚と共に、国指定史跡になっています。東京市電を通す時に、撤去される予定だったそうですが、渋沢栄一翁達が保存運動して残ったそうです。
ここで、ようやく先の明治通りに戻って歩き始めます。
暫く行くと、公園がありました。
公園の片隅に、煙突のような形の装置が突き出た物置のような建物を発見!
「明治通り西巣鴨自動車排出ガス測定局」だそうです。大気中の窒素酸化物濃度を測定しています。
実は、この煙突のような形の装置には見覚えがあります。青山通りの高橋是清翁記念公園内にもありました。そこには、説明看板が無かったので、何を測定するか分かりませんでしたが、これでスッキリしました。
この公園の名前は千川上水公園です。
昔、公園の敷地内には千川上水調節池があり、砂やごみを沈殿させた後、本郷方面に給水していました。
明治通りを渡ったところに、千川上水分配堰碑を発見!
調節池のやや上流にあたるここは、王子方面への分水がなされた地点です。
この水は、当初江戸幕府が大砲を作るために使われる予定でしたが、幕府の倒壊後、鹿島紡績所、抄紙会社(王子ホールディングス株式会社の前身)、大蔵省紙幣寮印刷局(国立印刷局の前身)の工業用水として使われました。要は、ここから分かれた水でお札を刷っていたんです。
僕は、これらの工業用水は、石神井川の水力を利用していたのかと思っていましたが、千川用水を使っていたことを知り、痕跡が気になっていたところだったので、ちょっと感激しました。
池袋が近づいて来ました。ビックカメラの本店は明治通り沿いだったんですね。
何度来ても駅の構造が分からない、池袋駅から帰りました。
散歩データ
コース:JR京浜東北線 王子駅 → 環状五号線(溝田橋~池袋駅東口北) → 池袋駅
距離:8.2km
時間:3h2m(渋沢史料館の見学時間を含む)