先週は日本橋川沿いを歩きました。今週は日本橋川の兄弟のような神田川沿いを歩きます。
両国
神田川は両国橋のたもとで隅田川に流れ込んでいるので、両国から散歩を開始することにしました。
大相撲が初日なので人がいっぱい。でも、人を撮ると写真の加工が面倒なので、櫓(やぐら)と幟(のぼり)を撮りました。
良い天気で、関取衆も続々と国技館に入っていきます。それを尻目に、1、2キロ太ってしまった僕は散歩散歩。
事前に、両国花火博物館があることを知ったので、見学に行くために京葉道路を渡ります。
渡ったところには旧国技館跡があります。前に来たことがあったものの、写真を撮っていなかったので、当時の土俵の位置を示す中庭の円形を撮影。でも、今は駐輪場になっていて、誰も土俵の跡など気にしないで自転車を止めていました。
京葉道路に戻ると信号が青。つい渡ってしまいました。花火博物館行くんじゃなかったっけ?まぁ、いいや。次の機会にします。両国橋の北側の歩道を渡らないと神田川の河口が見え難いですからね。
みんなが不思議に思う両国橋の親柱。何を意味したかったんでしょう。うーん謎。
両国橋からはスカイツリーが見えます。いつ見ても、東京タワーの2倍近くの高さがあるようには見えません。今度近くに行って、傾斜計を使って測ってみようかな。
それはそうと、総武線を通すのに、高速が少し上に凸になっています。そんなに曲げる必要があるのでしょうか?曲げないと架線で感電しちゃうのかな?それとも保守上の理由?
柳
神田川の河口です。ロケットのような形の柱は舟を結びつけるところでしょうか?ちょっと間隔が狭すぎるように思えます。
河口付近には屋形船が沢山停泊しています。屋形船は30年くらい前に一度乗ったことがあります。外観はほとんど変わっていません。
屋形船の中では、ハゼの天ぷらを食べました。そういえば、ハゼ釣り、今年は行っていないなぁ。御彼岸が近くなると、陸から延べ竿で釣るのは難しくなります。まだ釣れるかなぁ。
浅草橋のたもとには、先日、鯛焼きを買った鳴門鯛焼本舗があります。そのそばに、浅草見附跡がありました。浅草橋は、日光・奥州街道が通り、昔から交通の要所だったので、重要な見張り場所だったんでしょうね。
今は見附の代わりに、神田川を渡ったところに交番があります。
この交番の裏の片隅に、江戸時代の石垣石がひっそりと置いてありました。伊豆半島あたりから運ばれてきた安山岩だそうです。
浅草橋付近から秋葉原近くの和泉橋に至るまで、柳が沢山植えられています。岩本三丁目にあった説明書きを見ると、大田道灌が鬼門(艮(うしとら)の方角。北東)除けに柳を植えたと書いてあります。
僕は、鬼門には難を転ずる南天(なんてん)か、鬼の目を刺す刺を持つ柊(ひいらぎ)を植えることは聞いたことがありました。しかし、柳を植えるということを聞いたのは初めてでした。
神田川に沿って柳を植えると、柳の壁になります。鬼も入って来れなさそうです。
ここで、ふと、「廻れば大門(おおもん)の見返り柳~」で始まる樋口一葉のたけくらべ、を思いだしました。以前、一葉記念館に行った帰りに、見返り柳の碑を見つけて「あれ?こんなところに柳があるの?」と思った覚えがあります。やはり鬼門と関係があるのかな?
地図を見ると、ビンゴ!お歯黒どぶに囲われていたほぼ正方形の領域に対し、鬼門の方角に見返り柳があるではありませんか。
神田川沿いのこの付近や見返り柳のところに、現代まで連綿と柳が植えてあるということは、柳は鬼門除けに絶大な効果があるようですね。
旧甲州街道沿いにある柳の井戸も、皇居の裏鬼門除けの意味があるのかもしれません。

駿河台と湯島台
万世橋の親柱です。品がありますね。でも、子供の頃からの刷り込み現象で、万世と聞くとあの牛の顔がすぐに出てきてしまいます。
昔の万世橋駅だった建物です。2013年からオシャレな mAAch ecute(マーチエキュート)神田万世橋になりました。WEBで調べたら、ホーム部分がデッキになっているんですね。知りませんでした。また今度行く楽しみができました。
総武本線が神田川と交差する昌平橋も見えます。総武本線はアーチ橋で神田川を渡るとばかり思っていたのに、アーチ橋の部分では国道17号線を渡り、神田川は桁橋で渡っているんですね。
「神田川を歩く」と言っても、今まで神田川のほとりはほとんど歩けなかったので、マーチエキュートの手摺り沿いを歩くことにしました。
でも、途中で行き止まりになってしまったので、マーチエキュートの中を横断し、南西側の旧中山道をちょこっと歩いて昌平橋に向かいました。
昌平橋の親柱も一生懸命作った感があります。
川の右岸は淡路坂になり、ここから登りです。でも、今回は左岸を登りました。
東京地下鉄丸ノ内線の淡路町方面のトンネル入り口です。線路脇のはしごのところに、水位計があるので、大雨の時には線路近くまで水が来るようです。+
聖橋の中は、大きな石がごろごろしていました。安山岩でしょうか?先ほど交番の前で見かけた石垣の石と通ずるところがありそうです。今後、何かに使うために、ここに保管しているのでしょうか?
保管してある石の用途の一つとして、歩道の整備に使うのかと思いました。この写真のように、外堀通り沿いの歩道は、石と金属が交互に並んで柵が作られているではありませんか。
この石のくぼみを見ると、昔はここに木か金属の棒を入れて柵にしていたと思われます。でも、棒が腐ったか曲がったかで、メンテナンスが必要となったんでしょうね。でも、石が動かせなかったので、棒を入れなおすことが出来なかったのでしょう。折角の自然石を撤去するのはもったいなかったので、石と石の間に金属の柵を拵えることで、今の形になったのだと思います。
でも、この石は結晶が大きいから花崗岩ですよね?聖橋の下にあった石の種類とは明らかに違います。やはり、先ほどの石の用途は、将来の石垣の修理でしょうか?
坂道を少し下ったところに神田上水懸樋(かけひ)跡がありました。
そこに描いてある絵に少し突っ込みを入れたくなりました。
神田川って、江戸城の外堀の役割をしているんだよね?警備が手薄のようだけど、敵がこの懸樋を通って攻め込んでくることを想定しなかったの?それより、敵がこの懸樋を破壊したら、江戸城の人たちは干上がってしまうんじゃないかな?絵に描いてある小屋はそのための見張り小屋にではないよね。だって、看板には「大かば焼」と書いてありまっせ・・・
更に、少し行くと神田川分水路の案内図とお茶の水分水路の石碑がありました。でも、説明は一切ありません。分水路って何なの?せめて洪水対策くらいの一言があってもいいのではないでしょうか?
水道橋から下流側を眺めます。
水道橋周囲の標高は4mくらい。右岸の駿河台や左岸の湯島台の標高は17mくらいです。つまり、江戸時代に、重機を使わず人力+馬+牛くらいで15mくらいの深さ×川幅を掘ったわけですよね?いゃあ、ピラミッドを作るのもすごいけど、神田川を掘るのもすごいと思います。
左側の堤防が切れているように見えるところがお茶の水分水路なんでしょうね。
飯田橋駅
日本橋川との分岐点はどこかなぁと思いながら歩いて行くと、首都高速5号池袋線が神田川にかぶさって来るのが見えました。分岐点はそのあたりのはずです。
そのまま歩いて行くと、飯田橋駅に着いてしまいました。
あれ?分岐点いつの間に通り過ぎていました?
散歩データ
コース:JR 総武線 両国駅 → 神田川 → JR 中央線 飯田橋駅
距離:6.3km
時間:1h29m
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