散歩をしていると、昔に造られた構造物にしばしば出会います。今回、甲州街道を歩き始めてすぐ、四谷見附跡の石垣に出会いました。都会の真ん中に残る石垣に、連綿と続く東京の歴史が感じられました。
日本橋
主要街道の起点である日本橋。甲州街道もここが起点です。
僕は、街道が南方向に向かうときは神田駅、北方向に向かうときは東京駅から日本橋に行きます。そうすれば、必ず日本橋を通過してから街道歩きが始められます。
日本国道路元標を写してみました。交通量が多いので、近づいて撮ることは危険です。真上からの写真が欲しければ、橋のたもとに複製がありますので、そちらで我慢するのが無難です。
日本国道路元標の真上には、「道路元標地点」と書かれた柱が設置されています。これで、高速道からも道路元標の確認することができます。
あれ?でもなんでこの柱には「日本国」って書いてないんでしょう?
道路元標は大正8年に各市町村に設置されたので、たくさん存在しています。固有名詞を書かなければ分からないですよね?実際には分かりますが。
おそらく「日本国」を書かなかった理由は、デザイン的に、柱の長さを長くできなかったことかもしれません。
東京駅構内の北自由通路を通り、皇居方面に向かいます。
日比谷通りとの交差点に、東京銀行協会ビルを見つけました。モダンな建物です。日本にもこんなオシャレな建物があるんですね。でも、なぜか、上層部は現代的な建物です。理由は、歴史的建造物だったので、建て直す際に一部を保存したためだそうです。
和田倉門の交差点から東京駅を臨みます。丸の内駅舎の保存・復原工事が進んでいます。工事は、来年まで続きます。
皇居の南東の角で西に曲がり、内堀通りに入ります。警視庁が見えました。丸い構造物に付いているアンテナは警察無線を送受するのでしょうか?奥の建物は、中央合同庁舎2号館。総務省や警察庁が入っています。やはりアンテナがたくさん付いています。手前の赤レンガは法務省旧本館。避雷針はありそうですが、アンテナは見当たりません。
警察庁のすぐ近くの門。桜田門です。井伊直弼はこの美しい景色の中で、襲撃されてしまったんですね。
- Diet Building
- Supreme Court
桜田門付近からは、国会議事堂や最高裁判所も見えます。
国会前の交差点から約300m進んだところに、柳の井戸の立て看板がありました。江戸時代からの名水で、当時の通行人に喜ばれたとのことです。柳は見えたものの、歩道からは井戸の存在がよく分かりませんでした。
半蔵門です。徳川将軍は非常時に半蔵門を出て、この堤の上を横切り、甲州街道を甲府に逃げる予定だったと聞きます。でも、将軍の移動速度は飛脚のように足腰を鍛えた者からすればたかが知れています。時間稼ぎの効果はどれほどだったのでしょうか?
半蔵門からは、道の名前が新宿通りになります。西にほぼ一直線に延びて行きます。
内藤新宿
見慣れない円筒形の建物が出現。屋上に十字架があるので、聖イグナチオ教会と分かりました。でも、昔、知人の結婚式で訪れたときの建物の形と違います。調べてみると、老朽化のため、1995年から1999年にかけて建て直しされたことが分かりました。以前、四谷近辺を歩いたのは10年以上も前だったことになります。
四谷駅前の交差点を右折し、四ツ谷駅に沿って左折しようとしたときに、四谷見附跡を発見!
近くのトイレ付近に説明書きがありました。でも、歴史の専門家に対する説明のようで、構造や機能がよく分かりません。そこで、自分の言葉で考えてみます。
今の中央線の市ヶ谷から四ツ谷の部分は、外堀の内側沿いを通っています。江戸時代の外堀は当然、水がたたえられていました。なので、東西方向には自由に通行できません。でも、ここは街道なので、仕方なく橋を架けました(橋の名前を調べてみましたが見つからなかったので、堤かもしれません)。そうすると、今度は橋を通って敵が攻めてくる可能性が生じました。そこで、橋のたもとに見張り場所(見附)をおくことにしました。見附の構造は、この写真において、石垣の手前を左の方から侵入してきた敵が向きを変えて、こちらに向かってくるように設計しました。実際に攻められた場合には、大木が生えているあたりから下に見える敵を迎え撃つ算段でした。こんな感じでしょうか?
大小の石が組み合わさっている部分は江戸時代からの石垣だと思います。本来の見附は人が立っているあたりで切られているので、規格化された寸法の石で積んである部分は見栄えを良くするために新しく積まれた石垣だと思います。
木の枝に隠れているアンテナは防衛省のアンテナです。防衛省の相手は海外なので、外堀の外にあっても問題ありません。
四ツ谷駅から1km弱のところに四谷消防署があり、隣接して消防博物館があります。入館は無料で、展示も充実しています。ただ、今日は入りません。
四谷大木戸跡の碑を見つけました。ただ、江戸時代に四谷大木戸があったのは、ここよりも80mくらい日本橋寄りの四谷4丁目交差点付近だったようです。
更に1km進むと新宿三丁目の交差点に至ります。ここは甲州街道と青梅街道の追分(分岐点)です。
甲州街道は追分を左に曲がり、更に右に曲がって新宿駅南口の前を通ります。
ここから先は上北沢付近まで、ずっと高速道路沿いで、同じような景色が続きます。
今日の散歩は笹塚までということにしました。補助信号が4つもついた信号機を記念に撮って終了です。
散歩データ
コース:JR山手線 神田駅 → 日本橋 → 内藤新宿 → 京王新線 笹塚駅
距離:13.2km
時間:2h49m
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